2021年3月20日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【風景画家ターナーが描き出す光のドラマ】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
イントロダクション
19世紀イギリスで活躍した風景画家、ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー。
彼はイギリス美術史上、最も偉大な画家と言われています。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
イギリスといえば、ロンドン。
そしてそのロンドンのシンボルといえば、”ビッグ・ベン”でしょう。
テムズ川沿いのウエストミンスター宮殿(英国国会議事堂)にビッグ・ベンはあります。
「世界で最も有名な時計塔」とも呼ばれるビッグ・ベンですが、その誕生の背景にはある大火災がありました。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
1834年10月16日、当時のウエストミンスター宮殿で火災が発生、そのほとんどが焼失してしまいました。
その火災の後に造られたのが、現在のビッグ・ベンなのです。
《国会議事堂の炎上》
《国会議事堂の炎上》1834-1835年
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
フィラデルフィア美術館蔵
ターナーがその火事の様子を作品に残しています。
その日の夕方、国会議事堂の火事を聞きつけたターナーは、すぐさま現場に駆け付け、スケッチに残しました。
《国会議事堂の火災》
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
クリーヴランド美術館
こちらは別アングルからの一枚。
ターナーはテムズ河畔を駆け回り、視点を変え、スケッチを描きました。
彼は制作風景を他人に見られることを嫌っていましたが、この時ばかりは人目も気にせず、スケッチブック2冊分にも及ぶ写生を残しました。
炎は天高くまで燃え上がり、火災の激しさを伝えています。
テムズ川の水面は炎が反射して、真っ赤に染まっているのがわかります。
ターナーはこの2枚の油彩画を、現場で描いたスケッチを元に完成させました。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
当時はまだ写真はありませんでしたので、この大火災の様子は版画などで報道されました。
こちらの版画では、炎上する様子や消火活動のさまが分かり易く描かれています。
しかしターナーの作品はどうでしょう。
目に入るのは、だた大きく燃えさかる炎です。
まるで命を宿したかのように揺らめく炎と、その光。
ターナーの関心は火災の様子を残す事ではなく、”大火災が作り出す大気”を描く事だったのです。
ターナーの生涯
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
ターナーは1775年、ロンドンの理髪師だった父ウィリアム・ターナーと母メアリーの子として生まれました。
母親には生まれつき鬱の気質があり、日ごと精神を病んでいきました。
さらにターナーが8歳の時に、3つ下の妹が亡くなるという不幸もありましたが、そんな中でも比較的恵まれた幼少期を過ごしたとされています。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」より
早熟な画才を示し、14歳でロイヤル・アカデミーの美術学校に入学。1年後にはアカデミーの展覧会へ初出品します。
その後26歳という若さでロイヤル・アカデミーの正会員、32歳で教授に就任し、パトロンにも恵まれて順調にキャリアを積んでいきます。
当時のアカデミーでは絵画のヒエラルキー(階級)が決まっており、「歴史画」や「肖像画」が重んじられ、「風景画」はそこから一段低いものとして見なされていました。
しかしターナーや、彼と一歳違いのコンスタブルの詩情豊かな作品によって、風景画が一つのジャンルとして確立されていくのです。
当初ターナーは、17世紀フランス古典主義の巨匠クロード・ロランに憧れていました。
ロランはフランス人ですがイタリアで活躍。理想的な風景画を描き、人気を博していました。
《カルタゴを建設するディド》1815年
ターナー
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
そんなターナーのロランへの憧れを感じさせる一枚がこちらの作品です。
一見するとターナーの作品には見えないですね!
当時のターナーもこの作品について「自分の最高傑作」と悦に入るほど気に入っていたといいます。
しかし太陽は描かれているものの、後年、光にこだわったターナーの作品とは作風が違います。
海を描いた2枚の作品
ターナーの作品の特徴は、なんといっても大気と光が織りなすドラマチックな画面です。
しかし《カルタゴを建設するディド》など、初期の作品にはあまりその要素は感じられません。
《カレーの桟橋》1803年
ターナー
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
こちらもターナー初期の代表作《カレーの桟橋》です。
この作品はターナーがドーバー海峡で、フランスのカレーに渡った際に実際に目にした光景を描いています。
強い風が吹き荒れている海上で、小舟が今にも転覆しそうになっています。
先に到着したターナーが後ろに続く荷物船の様子を手早くスケッチし、のちに作品化しました。
荒ぶる海と波、嵐を運ぶ重い雲が克明に描かれています。
《吹雪》1842年
ターナー
テート・ブリテン蔵
こちらは《カレーの桟橋》から約40年後に描かれた、同じ”吹雪で荒れる海を行く船”を描いた作品です。
40年の間に驚くほど画風が変わっているのが分かります。
船を襲う大きなうねりのようなもの。
これが果たして雪なのか、船からでた蒸気なのか、海風を巻き上げたつむじ風なのか…
しかしそれが何であれ、自然の猛威がこちらに伝わってきます。
ターナーは乗船中に嵐に遭遇し、その光景を目に焼き付けようと船のマストに体を縛り付けたというエピソードが残っています。
荒れた海を臨場感たっぷりに描いたこの作品。
発表当初は批評家から、「せっけんの泡と水漆喰のようだ」と揶揄されてしまいます。
しかし実際に海で生きる人たちからは「まさに自分たちが見た光景だ」と称賛されました。
空気や大気の動きまでをも描き出した傑作で、まさにターナーの真骨頂ともいえる作品です。
ターナーが光に目覚める事になったきっかけ
《ポリュフェモスを嘲る(あざける)オデュッセウス》1829年
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
ターナーはヨーロッパ各地を好んで旅しました。
彼が光の表現に目覚めたのも、イタリアへの旅行がきっかけでした。
画像出展元:テレビ番組「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」
44歳の時に初めて訪れたイタリア・ヴェネツィアの光、そして色にターナーは魅せられました。
彼特有の海景画はこのとき生まれたといわれます。
以降ターナーは色彩表現を追求し、作風にも明らかな変化が出てきます。
こうして、今日の私たちがイメージする「光と大気のドラマを描く画家」が誕生するのです。
《戦艦テレメール号》
《戦艦テメレール号》1838年
ターナー
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵
最後にターナーの海景画としての代表作《戦艦テメレール号》をご紹介します。
イギリス海軍の軍艦テメレール号がその役目を終えて、夕陽の中、解体のために引かれていく様子を描いたものです。
役目を終えたテメレール号に「お疲れさまでした」と語りかけるような哀愁漂う作品です。
画面の大半にもやっている大気が描かれ、非常にターナーらしい作品になっています。
世界的な名画であり、イギリス国民に愛された《戦艦テメレール号》。
この作品は2005年、イギリスで「最も偉大なイギリス絵画」に選ばれています。
今回の記事はここまでです。
最後までご覧頂きありがとうございました。