2021年3月2日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#371 横浜市歴史博物館「横浜の仏像-しられざるみほとけたち」〜弥生時代の遺跡と仏像で知る、奥深い!ヨコハマの歴史〜】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧頂けます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
阿弥陀如来坐像(阿弥陀三尊像中尊) (栄区・證菩提寺)
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
平安時代にはある意味「見よう見まね」で作られていた横浜の仏像ですが、平安末期になると変化が起こります。
都にいる仏師を横浜に招く事ができるようになっていったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらは重要文化財にも指定されている『阿弥陀如来坐像』です。
お顔の表情も非常に穏やかで、小粒の螺髪など全体に出来栄えの素晴らしい仏様です。
こちらの御像はパート1の記事でご紹介した『薬師如来立像』と同じ、栄区の證菩提寺(しょうぼだいじ)に所蔵されています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
あの素朴な味わいのある仏様ですね!
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
平安時代末期になると、武士が力をつけてきます。
こちらの御像は源頼朝の周辺の御家人が、都で活躍していた仏師に発注した御像と考えられています。
薬師如来坐像(磯子区・東漸寺)
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
ここから鎌倉時代の仏像を見てまいります。
こちらは磯子区(いそごく)は東漸寺(とうぜんじ)に伝わる『薬師如来坐像』です。
鎌倉時代・13世紀の頃に作られたと考えられています。
鎌倉時代は運慶・快慶の登場で、仏像の様式は大きく変わります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
源頼朝が鎌倉幕府を開いた翌年、運慶は伊豆を訪れています。
そういった中で運慶の様式が、鎌倉・横浜周辺に広まっていくのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
1189年には横須賀・浄楽寺の『阿弥陀三尊像』を運慶は造像しています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらの『薬師如来坐像』は運慶に近しい仏師の作だと考えられています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
その理由は、浄楽寺の『阿弥陀如来坐像』と御姿が似ているという点が挙げられます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
さらに慶派の仏像の特徴として挙げられるのが、仏様の後頭部です。
上の写真のように”逆V字型”になっているのが、慶派の特徴なのです。
阿弥陀如来坐像および両脇侍立像 (金沢区・寶蔵院)
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらは金沢区の寶蔵院(ほうぞういん)に伝わる阿弥陀三尊像です。
こちらの仏様は運慶の様式が入ってきた後、鎌倉時代の新様式を反映しています。
その特徴をいくつかご紹介していきます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
その一つが肩から腰にかけての布の部分に2か所、内側から布が出ている部分です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
さらにもう一つが肩から吊るされた輪っかの部分になります。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
さらに仏様の髪の生え際(髪際(はっさい))の部分が、若干剃りこみのようになっているのも特徴の一つです。
パンチパーマ風で、ちょっとイケイケ感がありますね。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
向かって右側にいらっしゃるのが、蓮台を持つ観音菩薩様です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
反対側の勢至菩薩様(せいしぼさつ)は合掌をしています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
阿弥陀様の両脇の侍像は平安風の表現になっているといいます。
それは腰の部分が不自然に、ひねられている点に見られます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
通常は合掌をしていたり、手に蓮台を持っている場合は膝を折った形になるのが一般的です。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
それではなぜこちらのお像は腰をひねったような格好なのでしょう?
その謎を解くカギは、腕の部分にあるといいます。
こちらの両脇侍像は、元々は片方の腕を上げてもう片方の腕を下げるポーズだったと考えられます。
後の時代になって腕の部分に変更が加えられたため、腰から下の部分と不釣り合いになったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらが片方の手を上げ、もう片方を下げて、蓮茎(れんけい)を持った場合の両脇侍像です。
この手の位置ですと、腰がひねった状態になるのも自然なのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらの両脇侍像は元々平安末期風に腰のひねった体勢のお像を、鎌倉時代に新様式に作り替えたお像だったのです。
今回の記事はここまでです。
この続きはパート3にて!
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