2020年2月4日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#336 「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」展】の回をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい。
前回のパート1はこちらからご覧いただけます☟☟
【ぶらぶら美術・博物館】「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」展①
ブルーノ・タウトが日本で作った椅子
画像出展:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より引用
こちらはパート1でご紹介したブルーノ・タウトが作った椅子です。
昨年発表された小説「ノースライト」という小説(横山秀夫氏著)で、タウトの椅子が物語の鍵になっており、そこから今またタウトブームが再燃しています。
見ての通り、一見するとただのシンプルな作りの椅子です。
ですがこの当時(1935年頃)の日本にはこういったデザインの椅子は珍しかったのです。
右から順に:
レストランチェア、1934年(再制作の年代不詳)
折りたたみ椅子、1935年
アームチェア、1934年(1988年に再制作)
となっています。
タウトは椅子の標準設計の際に、材料・機能・構造・経済という4つの要素を考えながら設計をしました。
椅子というのは実際に使用するものなので、「軽くて便利である」ことが重要だと考えていたのです。
なのでこれらの椅子も非常に軽量で、片手で持つことができます。
じつはこの頃まで日本の職人さんが椅子を作るという事はありませんでした。
日本は畳の文化だったので、それまで椅子が使われることも作られることもなかったのです。
タウトは椅子の作り方から日本の職人に教えていったのです。
「椅子は小さな建築」とも言われているほどで、有名な建築家が椅子を作る例は多いのです(ル・コルビュジエなど)。
商工省 工芸指導所
1928年(昭和3年)に日本初の国立デザイン指導機関として、商工省工芸指導所が仙台に設立されました。
ブルーノ・タウトは工芸指導所の顧問に就任します。
目的は日本の工芸の近代化と推進、そして東北地方の工芸業界を発展させることでした。
国も「モダンデザイン」を発展させ、取り組んでいかなければいけないと考えていたのです。
タウトの他にも、シャルロット・ペリアンなど世界的な建築家が指導者として招かれました。
それまでの日本では工芸品を作る際、職人の手作業によるものなので、
「図面を書く」という習慣がありませんでした。
そこでタウトは日本人の技術者に、
↓
その設計に基づいてひな形(プロトタイプ)を作る
↓
何度もテストを繰り返す
↓
製品化して、大量生産をする
このプロセスを教えました。
今では当たり前とも言えるこの工業生産のプロセスですが、それを日本人に初めて教えたのがタウトでした。
またタウトは単に西洋の椅子を持ってくるのではなく、日本の伝統的なデザインをいかすことで生まれる、日本独自のデザインとするのが大事だと考えました。
この仙台の施設は日本のモダンデザインの原点とも言われています。
でも、どうして仙台にあったのかな?
理由の一つは当時の商工省の大臣の地元が仙台だったとの事です。
あともう一つは、東北地方の産業振興のためというものありました。
剣持勇について
画像出展:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より引用
そのタウトから仙台の工芸指導所で指導を受けた人物が剣持勇です。
剣持勇は日本のみならず、世界を代表するインテリアデザイナーです。
剣持は入所一年目、21歳の時にタウトで出会い、助手として3か月間みっちりとタウトから直接指導を受けました。
実はこの剣持勇は、私たちが一度は見たことのあるあの商品の容器をデザインした人物なのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
それが「ヤクルト容器」です。
よく見ていただけるとただの容器ではなく、デザインされたものだというのがお分かりいただけると思います。
ちなみに同ヤクルト社の「ジョア」の容器も剣持のデザインです。
この「ヤクルト容器」、実は東北の土産物の「こけし」のデザインを元にしています。
「作りやすい・持ちやすい・飲みやすい」というのを考え作られました。
ちなみにそれ以前はガラス瓶が使われており、ヤクルトレディも運ぶのが大変だったとか。
この容器に変える事で彼女たちの負担が減ったと言います。
まさに、日本の伝統的デザインをモダンにした代表作と言えるのです。
その他にも、「日航ジャンボ機のファーストクラスキャビン内装」や我々がよく見る「灰皿」など、幅広くデザインし、活躍しました。
スタッキングスツール、剣持勇作
画像出展:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらは剣持の代表作、「スタッキングスツール」と呼ばれる椅子です。
「スタッキング」とは、文字通り「積み重ねる」の意で、この椅子は積み重ねが可能になっています。
この椅子の最大の特徴は、側面の木材の湾曲の部分です。
木を熱して曲げるという非常に難しい技術が使われており、「日本で唯一の曲木家具専門ブランド」といわれる秋田木工株式会社という会社でしか作ることができません。
1950年代から60年代は、日本で「団地」が数多く建設されました。
そこでその団地に見合った家具のニーズが高まります。
この「スタッキングスツール」は、狭いスペースでも重ねて置くことができて、快適に使う事が出来るという事で爆発的ヒット商品になります。
お値段は当時の大学初任給が1万5千円であった時代に、980円で販売されていました。
なので、今でいうと2万円くらいでしょうか。
パート2はいったんここまでで。
パート3でも剣持デザインの椅子の作品についてご紹介していきます。
【ぶらぶら美術・博物館】「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」展Ⅲ
コメント
[…] パート1はいったんここまでで。 パート2では、タウトの日本での活動とそんな彼に影響を受けた日本人についてまとめていきます。 【ぶらぶら美術・博物館】「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」展② […]
[…] 見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい。 前回のパート2はこちらからご覧いただけます☟☟ 【ぶらぶら美術・博物館】「モダンデザインが結ぶ暮らしの夢」展② […]