2019年10月19日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【絵画に息づくハプスブルク家の栄華】の回を「ハプスブルク展」の予習用メモとしてまとめました。
番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
「ハプスブルク展」は終了しましたが、見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい。
イントロダクション
今回取り上げるのは、ハプスブルク家です。
皆さんも世界史を勉強した時に、必ず目にしているワードだと思います。
ハプスブルク家は、ヨーロッパでおよそ600年に渡ってその栄華を誇りました。
またハプスブルク家は政治だけではなく、美術の世界とも深い縁がありました。
ヨーロッパの歴史だけでなく、美術を語る上でも、ハプスブルク家を抜きにして語ることはできないと言っても過言ではありません。
上野の国立西洋美術館で2020年1月26日まで、「日本・オーストリア友好150周年記念 ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史」が開催されていました。
ハプスブルク家というと、女帝マリア・テレジアやその娘のマリー・アントワネットが有名だと思います。
この記事でははハプスブルク家についてはよくご存じの方から、あまり分からない方まで「ハプスブルク展」より深く理解できるように記事をまとめていきます。
ぜひ最後までご覧になってください。
ベラスケスとハプスブルク家
ハプスブルク家は強大な権力、そして財力を元に美術品を収集していました。
また同時代の画家を支え、彼等のパトロンにもなりました。
世界三大名画にも数えられる《ラス・メニーナス》を描いたベラスケスはその代表格と言える存在です。
*ちなみに世界三大名画はこの作品のほかに、レンブラントの《夜警》とレオナルド・ダ・ヴィンチの《モナ・リザ》と言われています(諸説あるようです)。
《ラス・メニーナス》1656年
ディエゴ・ベラスケス
プラド美術館蔵
ベラスケスはスペイン王・フェリペ4世の宮廷画家として活躍しました。
フェリペ4世は絶大なる信頼をベラスケスに寄せており、王室の家族の肖像を数多く描かせました。
《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》
《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》1659年
ディエゴ・ベラスケス
ウィーン美術史美術館蔵
中でも傑作とされるのが、《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》です。
「ハプスブルク展」でもメインビジュアルとして使われていました。
モデルのマルガリータ・テレサは、ベラスケスが仕えたフェリペ4世の娘にあたります。
豪華で上品な光沢を放つドレスに身を包んだマルガリータは、この時まだ8歳です。
髪の毛の質感の表現も見事で、まるで絹糸のようです。
この作品を所蔵するウィーン美術史美術館には、この他に2枚の彼女の肖像画があります。
《王女マルガリータ・テレサ(3歳)》
ディエゴ・ベラスケス
ウィーン美術史美術館蔵
*こちらの作品は「ハプスブルク展」には出展されてません。
これはマルガリータ3歳の時の肖像です。
ふっくらとしたバラ色の頬が印象的です。
《王女マルガリータ・テレサ(5歳)》
ディエゴ・ベラスケス
ウィーン美術史美術館蔵
*こちらの作品は「ハプスブルク展」には出展されてません。
これは5歳の時の肖像画です。
白いドレスを身に纏ったその姿からは、若干5歳とは思えない気品で溢れています。
描かれた時期は、先にご紹介した《ラス・メニーナス》と同じころです。
《ラス・メニーナス》部分
*こちらの作品は「ハプスブルク展」には出展されてません。
胸元の装飾が少し違いますが、ドレスのデザインもよく似ています。
これらの肖像を見ると、すくすくと育つ王女の成長がよく分かります。
父親のフェリペ4世は、これらの肖像画を成長記録や手元の置いておくためにベラスケスの描かせたわけではありませんでした。
マルガリータ・テレサの肖像を描いた理由
*こちらの作品は「ハプスブルク展」には出展されてません。
スペイン王女のマルガリータは、オーストリア・ハプスブルク家のレオポルト1世と政略結婚することが決まっていました。
距離の離れたスペインとオーストリアを頻繁に行き来するのは、当時は大変難しいことでした。
今なら飛行機で2時間半くらいで行けるみたいですが
そのため将来の妻となる王女の様子をレオポルト1世に伝える目的で、何年かおきに肖像画を描かせて、オーストリアに贈っていたのです。
《王女マルガリータ・テレサ(10歳)》
ディエゴ・ベラスケス
プラド美術館蔵
*こちらの作品は「ハプスブルク展」には出展されてません。
ベラスケスは、《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》を描いた一年後にこの世を去っています。
それは丁度10歳になるマルガリータのこちらの作品を描いている最中の事でした。
天才と呼ばれたベラスケスがその持てる力を、宮廷画家の誇りに賭けて注ぎ込んだ傑作の数々。
もしかすると、描かせたフェリペ4世もその素晴らしい出来栄えに手放すのを惜しいと感じたかもしれませんね。
パート1はここまでです。
パート2へと続きます。パート2では、オーストリア・ハプスブルク家のルドルフ2世と
彼の宮廷画家アルチンボルドについてまとめます。
【ハプスブルク展】ルドルフ2世とアルチンボルド
コメント
[…] 番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。 前回のパート1の記事はこちらからご覧頂けます☟☟ 【ハプスブルク展】スペイン宮廷画家ベラスケスとハプスブルク家 […]