2026年6月23日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」の【伊勢物語の写本】についてまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
*画像出展元:テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」より
日本最古の歌物語 伊勢物語

「むかし おとこありけり」
この書き出しで知られる『伊勢物語』は平安時代前期に成立した日本最古の歌物語である。

全125段からなり、人の世の恋愛・友情・流浪・離別などが、

数行から数十行の仮名文に和歌を添えてつづられている。

しかし段の配列は年代順ではなく、それぞれの段の関係も緊密ではない。

このことから作者は1人ではなく、9世紀から10世紀にかけて何人かによる改作・改編・増補が繰り返されたと考えられている。

主人公のモデルは歌人・在原業平(825-880)とされるが本文中に実名の記述はない。

業平は平城天皇(へいぜいてんのう、774-824)の孫として生まれるも、その頃すでに皇統が嵯峨天皇に子孫に移っていた。

そのため業平は類まれな美貌と和歌の才能を持ちながらも、鬱屈し放蕩三昧の暮らしを送っていた。

『伊勢物語』の最大の特徴は、日本の文学で初めて”禁断の愛”が書かれたことであろう。

例えば第4段・西の対(にしのたい)は清和天皇(せいわてんのう)の后になる藤原高子(ふじわら の こうし/たかいこ)との許されぬ恋を追想した話で…

月やあらぬ
春や昔の
春ならぬ
我が身ひとつは
もとの身にして
と歌を添え、天皇に入内した后への変わらぬ思いを吐露している。

このような描写は当時の貴族たちを驚嘆させ、のちに生まれる『源氏物語』にも多大な影響を与えた。

また和歌と物語の組み合わせの妙も魅力の一つ。

第9段東下りでは、主人公が東国に下る道中で同行の一人から、「かきつばた」の五文字を句の頭に入れて歌を詠むよう求められる。

からころも
着つつなれにし
つましあれば
はるばる来ぬる
旅をしぞ思う
「唐衣は着続けていると慣れてくるが、同じように慣れ親しんだ妻が京にいるので、はるばるやってきた旅がしみじみと感じられる」という意味だが、難しい条件を満たしたうえで、一同の心を打つ歌を詠んでみせる主人公の機知と技量は実に見事といえよう。

伊勢物語は成立した事情から、原本というのもはなく写本として伝えられてきた。

現存する写本のほとんどは鎌倉時代初期の歌人・藤原定家が、

天福2年、すなわち1234年に書き写した、いわゆる「天福本」がもとになっているが、この「天福本」は江戸時代に焼失。

そのため室町時代後期の歌人・三条西実隆(さんじょうにし さねたか)による「天福本」を忠実に写した写本が現在最も重要な研究資料とされている。
伊勢物語の写本

改めて依頼品を見てみよう。
『伊勢物語』の写本2冊である。

向かって左は第1段の初冠(ういこうぶり)から、

第125段の「つひにゆく道」までのすべてが流麗な文字で書かれている。

一方、右は冒頭に「同物語哥註(どうものがたりうたのちゅう)」とあることから、どうやら『伊勢物語』に登場する和歌の注釈本のようだ。

箱の裏の由来書(ゆらいがき)を見ると、

本文が書かれたほうは飛鳥井雅俊(あすかい まさとし、1462-1523)が筆写。
注釈本は飛鳥井雅康(あすかいまさやす、1436-1509)が書いたとある。

調べたところいずれも室町時代後期の歌人で、雅俊は雅康の養子であった。

むかし『伊勢物語』ありけり。
果して鑑定やいかに?
新発見!800万円


800万円!やった!

「新発見です。室町時代後期の古写本が出ましたね」

「まず『伊勢物語』が500万円」

「藤原定家の「天福本」を歌人・三条西実隆が写したものを、(そこからさらに)飛鳥井雅俊が筆写したものです」

「筆跡は雅俊のものに間違いない。本文を忠実に写すことは非常に大事なことで、読み違えたり、アレンジをして本文が正しく伝わらないことがあります」

「奥書には飛鳥井雅俊が書き写したことを三条西実隆が違いなく写してあると、証明書きしています」

「『伊勢物語』研究は、三条西実隆の写本が最重要で、井伊家の彦根城博物館他に数点あるのみでした」

「今回出てきた実隆本『伊勢物語』は由来のはっきりした本であることから、大変貴重な研究資料であるといえます」

「次に『伊勢物語哥註』。研究資料として、大変重要なものです」

「これら2点は今まで研究されたことがなく、たいへんきれいに保存され、今まで伝わってたことが奇跡的です」
今回の記事は以上になります。
