今回は西洋の美術を通して、中世の人々がどのように疫病と向き合ってきたのかを見ていきます。
現代の私たちが今まさに直面している”コロナウィルス”という疫病。
この未曾有の出来事に私たちはどう向き合えば良いのか、過去の美術から何を学べるのか、見ていきたいと思います。
2020年4月19日放送の「日曜美術館」の【疫病をこえて 人は何を描いてきたか】の回を、番組内容にプラスしてまとめていきます。
前回のパート1では日本美術と疫病とのかかわりについてまとめています。
(パート1はこちら☚からご覧いただけます。)
ピサ・カンポサントのフレスコ画
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
ヨーロッパは歴史上、何度も疫病に見舞われてきました。
疫病との向き合い方を伝える最も初期の作品がイタリア・ピサにあるこちらの壁画《カンポサントのフレスコ画》です。
このフレスコ画は修道院の墓所に描かれました。
画面には疫病で命を落とした人々が多数描かれています。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
その上を悪魔が飛んでいます。
悪魔はコウモリのような翼と鋭い爪を持ち、死者の口から魂を奪い取っています。
ここでは魂が赤子のように表現され、死者の口から出ていってしまってます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
こちらでは鷹狩りを楽しんで帰ってきた貴族たちが、棺桶に入れられた死体を見て、恐れおののく様子が描かれています。
疫病に対するキリスト教の考え方
國學院大學の小池寿子教授によると、
当時のキリスト教の考え方では、死が襲ってきたり、病に倒れるというのは、神の罰(懲罰)だと考えられていました。
なので、このように多くの人間が亡くなるのは人間の罪であり、罪を悔い改めるべきだと考えられていたのです。
この壁画はその説教のために描かれたという側面があります。
疫病を人間自らの罪への報いと見なし、ひたすら神に救いを求めた西洋の人々。
しかし、この価値観を根底から揺るがす疫病が現れます。
ペストの流行
1348年から欧州全域に蔓延したペスト(別名:黒死病)。
この大流行では当時の世界人口のおよそ22%にあたる1億人が亡くなったと推計されています。
それによりイングランドやイタリアでは全滅した街や村もあったといいます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
流行の最中に描かれた美術作品は少なく、こちらは後世の書物に描かれた挿絵になります。
次々に人が死んでいくその光景を目にした人々の間で、次第に「神は本当に存在し、救済してくれるのだろうと」という信仰へ揺らぎが生まれ始めます。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
そこからキリストの存在を否定するものも現れます。
こちらの木版画では、民衆をあおるニセ預言者の姿が描かれています。
ニセ預言者は画面中央左に描かれており、その後方には耳打ちする悪魔の姿も見えます。
このようなデマゴーグと呼ばれるニセの預言者が出てくるのです。
画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より
次第に「ユダヤ人が井戸に毒を投げた」などといったデマが流れます。
キリストを磔にしたユダヤ人を「疫病」をもたらす元凶と決めつけて、この絵のように理不尽な虐殺がなされました。
人々の不安や恐怖のエネルギーが、弱いものいじめへのエネルギーに変わっていくのです。
ここでは敵と見なした者たちを追いつけていくという異常な集合心理が働いているのです。
何か良くないことが起こった時に、その原因が”アイツ”かもしれないとターゲットにする負の感情というものは非常に集中しやすいものです。
そしてそれは今日のコロナウイルスの件においても言えることなのではないでしょうか。
《死の舞踏》
《死の舞踏》15世紀後期
ニストニア・聖ニコラウス聖堂
ペストの蔓延がピークを過ぎた15世紀になると、『死の舞踏』と呼ばれる図像がヨーロッパ中で描かれ始めます。
小池氏によると、絵の下にセリフにはこのような事が書かれているといいます。
まず死者が「生きている間にこんな立派な事をしたとの事だが、本当か?」と語りかけています。
そこで王や教皇は「確かに地位を上り詰め、欲するものは手に入れた。けれども今となっては墓場に行くのみだ」と答えています。
ここから分かるのは「死者が生きている人に教え諭している」という事です。
「死者は生ける者よりも多くを知っている」事を表しています。
そしてその”死”から生きる知恵を学ぼう言うのが『死の舞踏』と趣旨なのです。
未知のものに対して戦うでもなく逃げるでもなく、それに向き合おう、という考え方になるのです。
そして『ルネサンス』へ
ペストによって生み出された新たなものの見方は、やがて『ルネサンス』へと繋がります。
その変化の象徴ともいえるのが”聖母マリア”でした
ルネサンス以前の聖母マリアは教会の象徴として厳粛な姿で描かれていました。
《聖母子と二天使》1465年
フィリッポ・リッピ
ウフィツィ美術館蔵
こちらはルネサンス期に描かれた聖母マリア像です。
人間味のある親しみやすい姿で描かれているのが分かります。
作者のフィリッポ・リッピ(Filippo Lippi、1406-1469)はルネサンス中期に活躍した画家で、ボッティチェリの師匠でもありました。
この《聖母子と二天使》では自身の妻をモデルにして、聖母子の姿を描いています。
その表情は穏やかで、人間味に溢れており、親しみやすさを感じられます。
これは逆に言うと、苦難を乗り越え、「人間」という存在を見つめなおした時代だからこそ辿り着いた表現だと言えます。
《ザクロの聖母》1487年
サンドロ・ボッティチェリ
ウフィツィ美術館蔵
國學院大學の小池寿子教授は番組内で以下のように述べています。
『人間の力ではどうしようもできないことです、疫病の蔓延は当時の人にとって。
だから人知の及ばない災いが起こったときに、私は人間は思いがけない力を持ち得る生き物だと思っていて、人間は次の活路を必ず見つけてヒントを得る、そういう存在だと思う』
さいごに
かの有名な文学『デカメロン』は、1348年にペストが流行した際、難を逃れた10人の男女が退屈しのぎで話をするという趣向から生まれました。
この事からも、疫病というものが命を奪う一方で、新たな文学作品や芸術を生む原動力となったという事実があります。
司会の小野正嗣氏の言葉がたいへん印象的でしたので、さいごにまとめたいと思います。
『人間は疫病に接した時に、あらゆる負の側面が放出される。
(疫病が)少し収束した時に、一体われわれは人間という名に値する生き物なのかどうかという事を立ち止まって考える事ができる』
『人間は悪の原因を他者に押し付けて遠ざけようとする事が、過去描かれてきている。
それらを読むたびに、人間はどれほどかつてから進化しているのか。技術的に或いは文明的には繁栄して栄えているかもしれないけども、心のありようは実はそれほど変わっていないんじゃないか。
自分たちの負の側面に直面させられて、その都度美術や文学作品に立ち返る事によって、間違った方向を軌道修正できる。そういった意味でも美術作品・文学作品は尊いものだと思う』
今回の記事は以上です。
最後までご覧頂きありがとうございました。
コメント
[…] 今回はここまでになります。 続くパート2では、西洋美術における疫病との向き合い方を見ていきます。 こちら☚からご覧いただけます。 […]