2025年12月16日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」の【東郷青児の美人画/菊池契月の六曲半双屏風】についてまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
*画像出展元:テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」より
東郷青児の美人画

昭和を代表する洋画家、東郷青児の美人画である。


残念!1000円!

「残念ですが、東郷青児の作品ではありません」

「東郷様式と呼ばれる非常にモダンでロマンティックな女性像。マネて描こうっていう努力は認めます。しかし細部を見ると全然違う」

「髪の毛の描写。輪郭をうねうねと適当に描いているだけ」

「質感とか艶やかさというのは描けてないですね」

「表情の描写というのもすごく甘い」

「お洒落な青が綺麗に見えるんですが、この青があまりにも誇張されすぎちゃって不自然。本物だったら300万円くらいはすると思います」
至高の美 菊池契月

凛とした眼差しでこちらを見つめる少女。

そのなんと清らかで美しいことか。

菊池契月(きくちけいげつ、1879-1955)は、明治から昭和にかけて活躍した日本画家で、数多の画風に挑戦し、”至高の美”をひたすら追求した。

1879年、長野県中野の裕福な庄屋の家に生まれる。
(本名は細野完爾)

小学校の頃から図画の成績は群を抜いており、13歳で隣町の南画家の児玉果亭(こだま かてい)に師事。

わずか数年で師を驚嘆させるほどの腕前となり、「契月(けいげつ)」の号を与えられた。

以降「画家になりたい」との思いを募らせたが、父親の猛反対に遭う。
しかし諦めきれない契月は17歳の時、妹の結婚式のどさくさに紛れて家出。

汽車に飛び乗り京都へ向かうと、その翌年、円山四条派の菊池芳文に入門した。

当初、契月は”歴史画”に力を注いだ。
《福原故事(ふくはらこじ)》は平家一門が幼い安徳天皇を連れ、都落ちするさまを描いた作品。

西楚(せいそ)の覇王、項羽と虞美人(ぐびじん)の永遠の別れを描いた《垓下別離 (がいかべつり)》など、叙情豊かな表現は二十歳そこそこの作とは到底思えない。

23歳の時には青年画家の登竜門と呼ばれた「新古美術展」で二等賞銀牌を受賞。

その4年後、師の菊池芳文の一人娘と結婚し、菊池家の後継者となった。

ところが、この頃から契月の画風は目まぐるしく変化。

四条派の枠に嵌ったままでは表現に限界があると悟ったからで、新たな画風を求め試行錯誤を繰り返す。

歴史画を離れ、現実世界を主題に写生に基づいた表現に挑戦するも、納得のいく絵はできなかった。
後年自ら回顧展を行った際、契月はこの頃の作を1点も出品していない。
必死でもがいていた時期の作を見られたくなかったのである。

転機が訪れたのは43歳の時。
教授の職に就いていた絵画学校から派遣され、一年間ヨーロッパに遊学。

そこで中世イタリアのフレスコ画や彫刻を目にすると、時代を経ても古びることのない、格調高い美に深く感銘を受け、一つの答えに辿り着いた。
「日本画をもう一度古典から見直し、新しい角度で復活させよう」と。

《立女》は帰国の翌年、帝展に出品した意欲作。
正倉院や薬師寺に伝わる天平期の作に描かれた女性がモチーフだが、その構図と背景の色は西洋の宗教画のごとくで、和洋の美を見事に融合させている。

その後、契月は歴史上の武将から現代に生きる女性までさまざま手掛け、独自の画境を深めていく。
画面は年を追うごとに研ぎ澄まされ、気高さを増していった。

契月の真骨頂は、なんといっても洗練された”線描”にあるといえよう。
緊張感と鋭さを持ったその線は、単なる輪郭線ではなく、対象の奥行きや質感をも感じさせる。

それは平面的な絵画にとって空間表現はどうあるべきか?と、長い間自問自答を繰り返し、ようやく生み出されたものであった。

晩年には京都市から名誉市民の称号を贈られた。

1955年、脳塞栓により他界。
75歳であった。
菊池契月の六曲半双屏風

改めて依頼品を見てみよう。菊池契月の六曲半双屏風である。
中国風の衣装を着た女性が2人。

1人は野花を腕に抱えている。

もう1人は馬の背にアジサイを乗せている。

白馬が見つめる先には宙を舞う蝶が。
美しい線描はいかにも契月らしいが…
果して鑑定やいかに?
傑作!600万円


600万円!

「菊池契月の真作に間違いありません」

「とても素晴らしい作品だと思います」

「落款の形状や画風から、四条派の影響が出た若い頃の作品」

「人物の目と髪。やわらかな筆遣いで穏やかに描かれています」

「また袖を通す衣服。しっかりとした勢いのある筆遣いで、迷いなくこうピッと線が引かれていて、契月がまだ20代半ばなんですが、非常に高い技術を既に持っていたことがわかります」

「画面の真ん中に、全体のバランスからするとちょっと大きめに描かれた蝶。一般的に日本の絵画で蝶というのは、変化と成長をイメージするものとして描かれることがあります」

「より一層の成長目指す意気込みが込められているのかもしれません。契月の画業を知る上ですごく重要な作品だと思います」
今回の記事はここまでになります。
