2025年3月4日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」の【画狂人・北斎】についてまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
*画像出展元:テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」より
段落
引っ越しすること93回。
名を改めることを30回。
その筆であらゆるジャンルを描きまくった男、葛飾北斎。
自らを”画狂人”と名乗った不世出の天才絵師である。
1760年、江戸は本所の生まれ。
物心ついた時から絵を描かずにはいられない性分だったいう。
19歳で人気浮世絵師の勝川春章に弟子入り。
春朗と号し、20歳でデビュー。
役者絵や黄表紙の挿絵を手がけた。
ここから70年に渡る画業が始まった。
現在、大河ドラマの主人公である江戸きっての版元・蔦屋重三郎はその才能をいち早く見抜いた。
蔦重は新進気鋭の戯作者・曲亭馬琴の本の挿絵を春朗に依頼。
2人が共演した本は飛ぶように売れた。
35歳で琳派を継承すると、俵屋宗理と名乗るように。
この頃描き始めたのが”美人画”である。
口を半開きにして望遠鏡を覗き込む娘と、それをたしなめる母を描いた美人大首絵。
色白でほっそりした瓜実顔は”宗理型美人”と呼ばれ、一躍ブームとなった。
しかし38歳で北斎を名乗るや画風は一変する。
上質な絵の具を用いた肉筆で、色香漂う優美な女を描き出した。
ほろ酔いで三味線箱に突っ伏す芸妓の、なんと艶っぽいことか。
抑揚の効いた輪郭線と、洗練された色使いは北斎の真骨頂といえよう。
北斎の描く女は、時に不自然なほど体をひねり、首はほぼ直角に曲がっている。
しかしこれが幾何学的な導線を生み出し、全体で見ると安定した構図を保っているのである。
その興味は美人画にとどまらず、50歳を過ぎると絵手本を出版。
物の描き方の極意を惜しげもなく披露した。
鋭い観察力に基づいた人の動きの描写は的確で、日本の絵師に影響を与えた。
また日本だけではなく、海を渡りヨーロッパの画家たちにも影響を与えた。
例えばドガ。
こちらはゴーギャン。
さらに70代で浮世絵風景画の傑作『富嶽三十六景』を発表。
多彩な表情を見せる富士の姿を生き生きと描いてみせた。
作曲家ドビュッシーはこの『神奈川沖浪裏』にインスパイアされ、交響曲「海」を発表したほどである。
75歳で画狂老人卍を名乗った後は肉筆画に傾倒。
(これ以前にも春朗の頃から肉筆画自体は描いている)
『富士超龍図』は極めて絶筆に近い90歳の作。
天の高みに昇る龍は己の姿か。
死の間際、北斎は一言次のように呟いたという。
「天があと五年の命をくれたら、本物の画工になれた」と。
葛飾北斎の肉筆美人画
改めて依頼品を見てみよう。
葛飾北斎の肉筆美人画である。
落款は「北斎筆」と書かれている。
ちらほらと桜が咲き始めた山を背景に、
深草色の着物を着た女性が、扇子を片手に身をよじらせている。
襦袢(じゅばん)の襟は、異様なほどギザギザしている。
実はこれは北斎が好んだ表現で、50代頃(北斎/戴斗期)の作にこうした線が多い。
もし本物なら大発見だが…
果たして鑑定やいかに?
残念 5000円!

5000円!
「印刷でございます」
「元になった絵が都内の美術館にございまして(出光美術館所蔵《春秋二美人図》)、それを現代に誰かが写して、それを更に印刷したもの」
「上から絵の具を少し入れているので、一般的には分かりにくい部分があるかもしれない。おそらく昭和になって作ったもの」
「顔が全く違う、現代の顔になっているんですね」
「ただ、もしこの大きさの北斎の美人画があれば1億円は」
今回の記事はここまでになります。