2023年11月11日にフジテレビにて放送された【光の画家モネを追いかけて~芳根京子パリへ行く】の内容をまとめました。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
今回の記事はパート2になります。
印象派が描いたもの
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
モネをはじめとする印象派の画家たちが好んで描いた画題がありました。
それが「鉄道」でした。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
※『モネ 連作の情景』の出展作品ではありません
サンラザール駅に到着した蒸気機関車を描いたこちらの作品。
モネの関心は蒸気機関車よりも、そこから吐き出される煙に向けられているのが分かります。
煙は逆光に照らされ、輝いているようです。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
画家たちはチューブ入り絵の具を持参し、蒸気機関車に乗ってヨーロッパ中に移動しました。
そして様々な土地で、その時代の景色を切り取った傑作を生み出していきました。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
印象派以前、サロンで認められるための画題は宗教画や神話画がメインでした。
鑑賞者がこれらの絵画を理解するためには、聖書の知識や神話の知識を持っていることが必須でした。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
しかし印象派の画家たちは同時代の風景や人々を描いていたので、そういった知識がない人たちでも楽しむことができたのです。
これは当時としては”新しい絵画体験”だったのです。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
同じ頃、パリではパリ万国博覧会が開催されます(1867年)。
ここで日本の”ある芸術”が注目されます。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
それが浮世絵でした。
西洋美術の歴史やサロンのルールとは全く無縁の、日本の絵師が自由な発想で描いた浮世絵。
これを見たヨーロッパの画家たちは浮世絵に魅了されていきます。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
※『モネ 連作の情景』の出展作品ではありません
モネも浮世絵に感化された一人です。
こちらの《ラ・ジャポネーズ》という作品では、妻のカミーユをモデルに、日本の着物とうちわを描いています。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
モネが新しい文化や技法を積極的に取り入れていく人物だったことが伺えます。
印象派の技法 筆触分割
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
この時代、色についての研究も進んでいきました。
光は色が集まると白くなりますが(光の三原色)、絵の具は色を混ぜることで暗くなってしまうのが分かっていました(色の三原色)。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
「光や空気を描きたい」と考える印象派の画家は、混ぜた絵具によって画面が暗くなるのを嫌いました。
そこで彼らが取り入れた技法が「筆触分割」でした。
画家たちはチューブから出た絵具を混ぜることなくそのままキャンバスに乗せ、色の比率によって明るい色彩を表現したのです。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
モネが描いたこちらの水面。
オレンジ・水色・白など様々な色が、筆あとの残るタッチで配置されています。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
隣り合わせに置く色の配置には光の対比効果を取り入れて、光輝く表現に成功しています。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
※『モネ 連作の情景』の出展作品ではありません
これを離れて見るとどうでしょう。
それまでの技法では表現できなかった光や煌めきが表現されているのです。
モネは同じ場所や対象物を異なる状況下で描く事で、季節の移ろいや光の変化を捉えようと試みました。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
2023年の展覧会でもモネの連作絵画を楽しむことができます。
『積みわら』はモネが体系的に連作の手法を実現した最初の画題と考えられています。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
モネの代表作ともいえる『睡蓮』。
モネは生涯で『睡蓮』を約300点描いたと言われています。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
展覧会では複数の『睡蓮』作品を比較しながら楽しむことができます。
モネが愛した庭
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
印象派の巨匠となったモネが晩年に過ごした家が、パリのジヴェルニーに今も残されています。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
家の中には浮世絵のコレクションが飾られています。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
この家でモネが絵画制作と同じくらい情熱を注いだものがありました。
それが“庭造り”です。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
庭には池があり、そこには橋がかけられています。
モネはこの池を造るために、わざわざ近くの川から水を引いてきました。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
庭を彩る花々はモネが世界中からその種を取り寄せて植えたものです。
この庭には彼のこだわりが詰まっているのです。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
モネの家の庭師を務めていたジルベール・ヴァエさんは、元々モネと一緒に働いていた庭師から直接指導を受けたといいます。
モネの庭は当時の姿がそのまま受け継がれているのです。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
そしてこの庭が傑作『睡蓮』を後に生むことになりました。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
そんなモネに悲劇が襲います。
画家の命ともいえる”目”に病気が見つかったのです。
重度の白内障で失明の危機に直面します。
晩年のモネ
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
※『モネ 連作の情景』の出展作品ではありません
視力を失いかけたモネは描く対象の形を捉えることができず、この作品に至ってはもはや抽象絵画のようになっています
しかしその後、手術が成功しモネの視力は奇跡的に回復します。
目が見えるようになったモネは喜びに溢れ、さらに精力的に絵画制作に打ち込みます。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
そして晩年に取り組んだ大作がオランジュリー美術館に残されています。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
館内に入るとガラス張りの開放的な空間が出迎えてくれます。
この美術館はモネの作品を飾るために造られました。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
モネ晩年の大作『睡蓮』が展示された展示室。
壁一面を睡蓮が埋め尽くすこの場所は『睡蓮の部屋』と呼ばれています。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
※『モネ 連作の情景』の出展作品ではありません
高さは約2メートル。
横幅はそれぞれの作品で異なりますが、何枚ものキャンバスを貼り合わせてつくられています。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
季節や時間、気候によって変化する水面の表情。
そしてそこに映る木々や空、雲。
それらの一瞬の表情を捉えているのです。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
奥に進むともう一部屋、別の睡蓮の部屋があります。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
※『モネ 連作の情景』の出展作品ではありません
こちらの部屋の作品は先ほどの部屋の作品に比べて、トーンはやや暗めになっています。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
死力を尽くした荒々しいタッチになっています。
画像出展元:テレビ番組「光の画家モネを追いかけて」より
モネは1926年、86歳でこの世を去ります。
亡くなって半年後、オランジュリー美術館の『睡蓮の部屋』が完成しました。
”光と色彩の画家”と呼ばれるクロード・モネ。
彼は刻々と変化していく対象の一瞬の輝きを画面に捉え、見る人にその美しさを教えてくれているのです。
今回の記事はここまでです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。