【日曜美術館】第77回正倉院展①【まとめ】

美術番組

2025年11月2日にNHKにて放送された「日曜美術館」の【天平の美 〜第77回正倉院展〜】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

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イントロダクション:第77回正倉院展

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

奈良・正倉院。
東大寺の北に位置するこの倉には,、1300年の長きに渡り貴重な宝物が納められてきました。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

毎年秋には奈良国立博物館で正倉院宝物を間近で見ることができる貴重な展覧会、『正倉院展』が開催されます。

2025年で第77回を数える今回の正倉院展では、初出陳6件を含む67件の宝物が出陳されました。

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正倉院、そして正倉院宝物を語る上で欠かせない人物が聖武天皇と妻の光明皇后です

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756年に聖武天皇が亡くなった際、光明皇后が「身の周りにあると思い出して悲しくなってしまうから」という理由で、天皇遺愛の品を大仏様に捧げました。
これが正倉院宝物の始まりです。

まずは聖武天皇が愛した宝物から見ていきます。

北倉42『平螺鈿背円鏡』

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

平螺鈿背円鏡(へいらでんはいのえんきょう)』。
正倉院展に出陳されるのは2013年以来、12年振りの出陳です。

直径およそ30センチの鏡です。
正倉院には聖武天皇ゆかりの鏡が全部で20面伝わっていますが、その中でも特に保存状態が良いものです。

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特筆すべき点はなんといっても背面の紋様です。
ここには世界中の貴重な素材がふんだんに使われています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

白く輝く部分には、南の暖かい地域で取れる夜光貝を用いた螺鈿が使われています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

上部にある赤い花。
その中心には南の海に生息するタイマイ(ウミガメの甲羅)が使われています。

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その周りを貴重な赤の琥珀で彩ります。
赤みがあり、且つ透明感のある琥珀は、ミャンマーなどの一部の地域でしか入手できませんでした。

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紋様の隙間は、輝く細かな石で埋め尽くされています。
アフガニスタン産のラピスラズリと、中央アジア産のトルコ石です。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

使われている素材から、唐で製作されたものであることが分かるといいます。
製作された後、遣唐使らによって日本にもたらされました。
当時の唐が誇る最先端の技術が結集した宝物です。

北倉44『鳥毛篆書屏風』

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

続いては『鳥毛篆書屏風(とりげてんしょのびょうぶ)』。
2019年の東京国立博物館での展覧会以来、6年振りの出陳です。

こちらは全部で六扇からなる屏風で、聖武天皇の身近に置かれていました

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白色の文字や草木の文様は、下地に型紙を当てて、染料を霧状に吹き付け、白抜きで表しています。

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名称に「鳥毛」と入っていることからも分かるように、文字の一部はキジやヤマドリなどの羽で作られています

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

更にその上から金箔を散らした後も確認できます。

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この屏風には君主に対する戒めの言葉が書かれています。
「愚かな人に任せれば政治は乱れ
賢い人を使えば民が親しむ」

聖武天皇の治世は、疫病や飢饉、戦争や天変地異が起こる、まさに”混乱の時代”でした。
時の天皇はこの『鳥毛篆書屏風』を見て、自らを律しておられたのかもしれません。

北倉39『漆塗鞘御杖刀』

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

漆塗鞘御杖刀(うるしぬりのさやのごじょうとう)』。
正倉院展に出陳されるのは2014年以来、11年振りの出陳です。

こちらの刀は聖武天皇が使ったものです。
一見すると杖のようにも見えますが、中には長さ60センチほどの刃がしこまれています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

こちらの刀は儀式などで聖武天皇が使ったと考えられています。

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持ち手の部分には貴重なエイの皮象牙が使われています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

さらに鞘尻(さやじり)の金具には、銀で細かな唐草文が表現されています。

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東大寺献物帳の一つ、『国家珍宝帳』。
ここには『漆塗鞘御杖刀』と同じ大刀(たち)と呼ばれる刀がが100点奉納されたと書かれていますが、宝庫に現存するのは『漆塗鞘御杖刀』を含めた3点しかありません。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

じつは多くの大刀は聖武天皇が亡くなって8年後の764年に起こった藤原仲麻呂の乱の際に持ち出され、その後宝庫に戻ることはありませんでした。

しかし『漆塗鞘御杖刀』は宝庫から一度も持ち出された記録はありません
その事からも『漆塗鞘御杖刀』が宝物の中でも特別な存在であったことがわかるのです。

中倉70『瑠璃坏』

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

正倉院宝物を語る上で欠かせないのが”シルクロード”です。
その長さは6万キロ以上で、ユーラシア大陸を西と東に貫く交易路です。

次に紹介する宝物は、その長い道のりの中で完成しました。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

それがこちらの『瑠璃坏(るりのつき)』です。
ガラス製のカップの部分に、金属の台脚が付いていますが、それぞれ別の場所で作られました

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

ガラスの部分は西アジアで作られました。
当時、薄手の吹きガラス製作は難しく、一部の地域だけで作られる貴重なものでした。

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ガラス表面に貼られた輪っかの装飾は全部で22個あり、そのサイズも均等になっていおり、また等間隔で並べられています。

同時代のガラス製のものの中でも、群を抜いた技術力を見られます。

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一方で金属製の台脚は東アジアで製作されたと考えられています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

龍とも虎とも見える装飾が施されています。
この動物は中国の神話にルーツがあるといいます。

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シルクロードの西と東の文化が融合した、美の結晶です。

北倉150『花氈 第1号』

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こちらは『花氈 第1号』という宝物です。
瑠璃坏』と同じく、シルクロードを体現したようなものになっています。

長さ2メートル75センチ、幅1メートル39センチの大きな花柄の敷物です。

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羊の毛を重ねて揉み、絡めてフェルト状にする縮絨(しゅくじゅう)という技法で作られています。
これは中央アジアに暮らす遊牧民が生み出した技法です。

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唐花文は、中国・唐固有のデザインで、複数の花が融合したように表現されています。
遊牧民が使うフェルト製品に感銘を受け、唐の人が製作したと考えられています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

よく見ると花びら一枚一枚に色のグラデーションがあるのが分かります。
これほど繊細な表現は、細くて良い毛質の羊毛を使っているからです。

色鮮やかな『花氈』はこの宝物以外にも数多く東大寺に伝わっており、それらは調度品として法要で使われたと考えられています。

北倉37『木画紫檀双六局』

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

こちらは大陸から伝わった遊び道具です。
双六に使う盤で、『木画紫檀双六局(もくがしたんのすごろくきょく)』といいます。

日本最古の双六盤聖武天皇が実際に使ったと考えられています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

貴重な木材である紫檀が全面に使われています。

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側面には象牙や鹿の角を材として、それらを木画と呼ばれる寄木細工の技法を使い、細かな文様を表しています。

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ヤツガシラやスズメといった鳥が表されており、羽の表現も忠実に表されています。

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当時の双六は対局者同士が向かい合って座る、対戦型のゲームでした。

プレイヤーは盤上にある12個の花を目印に駒を並べます。
中央に見える三日月のような模様は、半分の位置を示す目印です。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

その双六で使われたサイコロも残されており、こちらも正倉院宝物になっています。
双六頭(すごろくとう)』です。

当時の双六はサイコロの出た目に合わせて、盤上の駒を動かして勝敗を決めます。

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現存する『双六頭』は全て象牙で作られています。
数字の配置はほとんどが今と同じで、表と裏の目の数を足して、7になるように作られており、これはヨーロッパが起源と言われています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

双六の起源は紀元前のエジプトです。
日本には7世紀までに伝わったとされています。
しかし奈良時代の双六に関する描写はほとんど残されていません。

ボードゲームを研究する高橋浩徳氏によると、聖武天皇が貴族・王族を集めてゲームをさせたという記録が残っていると言います。
当時の人はそのゲームをする場で、自分を売り込んだり、人脈を広げたりということがあったのかもしれません。

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当時、双六に夢中になったのは貴族だけではありません。
庶民もまた熱中し、賭け事として大いに流行しました。

その結果、何度も禁止令が出たといいます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

なぜ当時の人々はそれほどまでに双六に熱中したのでしょう?
その要因はサイコロが持つ偶然性だといいます。

「(当時のゲームの中では)唯一双六が運と技術の要素がミックスされた面白さを持っているゲームなんですね。ちょっと技術が低くても上手いサイコロの目が出ると勝つことができる」(高橋浩徳氏)

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

日本にある双六盤で外側にふちがあるのは、正倉院の双六局だけだといいます。

加えて、象牙製のサイコロや豪華な双六盤を使って楽しむことできるのは一部の貴族だけだったといいます。

中倉170『投壷』

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

こちらの『投壷(とうこ)』もまた双六盤と同じく、遊ぶための道具です。

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当時の人は壺に矢を投げいれ、点数を競って遊びました。
投壷は現在も韓国で遊ばれているといいます。
このゲームは紀元前700年代に中国で生まれました。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

首の部分には毛彫と呼ばれる技法で、空想上の生き物や理想郷に暮らす仙人が表されています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

胴の部分には唐草文の紋様が一周囲っています。
さらにその上下を鳥や花で飾っています。

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作られた当初は全面に金が塗られていたと考えられています。

次に紹介する宝物では、投壷がどのように遊ばれていたかが表されています。

南倉125『桑木阮咸』

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桑木阮咸(くわのきのげんかん)』は、中国から伝わった弦楽器です。

「阮咸」の楽器名は、中国晋代の竹林七賢人の一人で、琵琶の名手の阮咸が由来といわれています。

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細かな部分まで装飾されており、縁にはウミガメの甲羅が貼り付けられており、高級感が漂います。

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弦を通す穴も木画で装飾されています。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

中央部には革が貼られており、そこに三人の男性が囲碁を嗜む姿が描かれている。

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この三人は中国で活躍した仙人たちです。
俗世から離れ、自由気ままに暮らす理想の生活を送っています。

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そんな三人の傍らには、矢が刺さった投壷が置かれています。
高貴な人々の遊びとして捉えられていたことを示す重要な手がかりです。

今回の記事はここまでになります。
パート2へと続きます。

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