2021年1月26日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#367 東京ステーションギャラリー「河鍋暁斎の底力」〜画鬼・暁斎の知られざる直筆!妥協を知らない天才の力〜】の回をまとめました。
今回の記事はパート3になります。
前回のパート2はこちら☚からご覧頂けます。
番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪
《卒都婆小町下絵絵巻》
この記事では本画のための下書き、暁斎の”下絵”についてまとめていきます。
”下絵”と聞くと、本画に比べると劣るようなイメージがあるかと思います。
けれども下絵には、本画にはない作者自身の揺らぎのない、ためらいのない線が表されています。
ルネサンスの巨匠、レオナルド・ダ・ヴィンチの下絵が完成作よりも高く評価される事があるといいます。
それくらい重要なものであり、実際に明治以降、欧米の美術愛好家がこぞって暁斎の下絵を手に入れようとしたくらいなのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
こちらは「九相図」を表したものです。
「九相図」とは、外に放置された死体が朽ちて骨になるまでの様子を9つの段階で表わしたものです。
橋の下で老婆の小野小町の死体が、だんだんと白骨になっていくまでが描かれています。
暁斎が実際にそういった死体を見て描いたのかどうかは分かりませんが、子どもの頃に生首を見つけて、それを描いたというエピソードもある人物なので、学芸員の田中晴子さんは「暁斎なら(実際に死体を見て描くことも)やりかねないのでは?」と言います。
「九相図」自体はれっきとした仏教絵画の主題であり、「命ある者もやがて死んでなくなる」という”諸行無常”を表すものでした。
西洋絵画で言う所の「メメント・モリ」ですね。
さらに描かれる死体を小野小町のような美女にする事で、「美しく咲き誇った人でも死ねばこうなるんだよ」と、より強い”諸行無常”感を演出する狙いがあったのです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この作品の面白い所は、余白に落書きのようなものが描かれているところです。
こちらにはトラの顔が描かれています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
また違う所にはウサギの顔が描かれています。
ピーターラビットみたいなウサギさんですね!
なぜこんな関係のない絵が、下絵とはいえ描かれているのでしょうか?
暁斎はたいへん弟子思いな師匠でもありました。
恐らくはこの「九相図」の下絵を描いている時に、弟子から「師匠、トラやウサギはどう描くのですか?」と尋ねられ、暁斎がササッと描いてみせたのだと考えられます。
「ウサギはこう描くんだよ~」みたいな感じですかね。
優しい!!
《夕涼み美人 下絵》
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
女性が団扇を手に、縁側で夕涼みする様子が描かれています。
左側の絵は着衣の状態で、ちゃんと肉体も描かれています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
一方右側の絵は着物の下に肉体が描かれず、骸骨の状態が描かれています。
まるでレントゲンみたいですね!
こちらは恐らく2枚の絵を重ねて、普通の夕涼み美人が一枚めくるとその下に骸骨姿が見える、という仕掛けだったのかもしれません。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
暁斎の描く骸骨は非常に正確で、暁斎のひ孫で医師の河鍋楠美さんも「医者の目から見ても骸骨は正確だ」と述べています。
「その手に描けぬものはなし」の暁斎は、肉体の下に隠れている骸骨までも描く事ができたのです。
暁斎の本画作品の行方
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
この《夕涼み美人 下絵》はその名の通り下書きですが、これの本画はどこで見られるのでしょう?
じつはそれが見つかっていないのです。
今回の展覧会では、下絵が多数展示されていますが、その多くの本画が行方が分かっていません。
明治に入った頃、多くのお雇い外国人が来日し彼らが暁斎の作品を購入、それらほとんどがそのまま海外に持ち帰られているのです。
当時は西洋でジャポニスムが起こった後で、海外で日本美術の関心が高まっている頃でした。
実際に一昔前まで日本での暁斎の知名度はそれほど無く、「ぎょうさい」などど間違えて呼ばれるくらいだったのに対し、海外の美術館では北斎に並ぶほど知名度があったといいます。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
暁斎は下書きやスケッチを描くのは非常に早かったのですが、作品自体が出来上がるのはそこまで早くなかったといいます。
その理由は、構想を立てるのに時間がかかったからでした。
構想ができてしまえばそこからは早かったようですが、構想が固まるまでに時間がかかったのです。
《パリス劇場表掛りの場 下絵》
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
続いての作品は、1879年に上映された歌舞伎の行燈絵(あんどんえ)の下絵になります。
「行燈絵」というのは、歌舞伎の一場面を描いたもので、それを夜に掲げ、宣伝するための絵です。
この歌舞伎の制作者は河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)という人物で、その河竹黙阿弥からの絵の指示書も残されています。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
描かれている舞台は、パリ・オペラ座の前です。
この歌舞伎のストーリーは、ある日本人の漁師の親子が遭難した所から始まります。
父親の方はイギリス船に助けられ、一方息子はアメリカ船に助けられたため、親子は生き別れになってしまいます。
その親子が最終的にはパリで再会する、というストーリーです。
画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より
描かれているのはアメリカ船に助けられた息子の三保蔵と、彼がアメリカで出会った若葉という日本人女性がパリ・オペラ座の前に立っている場面です。
この作品は本画が残っており、東京都小平市にあるGAS MUSEUM がす資料館に収蔵されています。
今回の記事はここまでになります。
パート4へと続きます。
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