2020年10月3日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【ハドソン・リバー派 アメリカ絵画最初の画派】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回の記事はこちら☚からご覧いただけます。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
画家フレデリック・エドウィン・チャーチ
トマス・コールに続いてもう一人、ハドソン・リバー派を代表する画家をご紹介します。
フレデリック・エドウィン・チャーチ(Frederic Edwin Church、1826-1900)は、先に取り上げたトマス・コールの元で学んだ画家です。
《ナイアガラ》1857年
フレデリック・エドウィン・チャーチ
ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵
こちらは彼の代表作である《ナイアガラ》という作品です。
壮大な風景が全長2メートル30センチの大画面に描かれています。
水の迫力ある表現がたいへん見事ですね!
左側にうっすらと見える虹も綺麗です。
描かれているのは、カナダのオンタリオ州とアメリカのニューヨーク州との国境になっている「ナイアガラの滝」です。
大地をえぐるほどの強大な力をもった、膨大な水の表現が見事です。
水しぶきとその空気感も見事に描ききっています。
空はアメリカの広大な大地を連想させるかのように、どこまでも続いています。
地平線もはるか彼方です。
フレデリック・エドウィン・チャーチはこのアメリカらしい壮大な風景を、ダイナミックかつ繊細な表現で描いています。
ハドソン・リバー派が活躍した当時の背景
画像出展元:テレビ番組「アートステージ」より
ハドソン・リバー派が活躍したのは、19世紀半ばの頃。
イギリスでラファエル前派が結成された頃で、フランスで印象派が活躍するより少し前の時代です。
この時代のアメリカでは鉄道が開通したり、ゴールドラッシュがあったりと、開拓精神の溢れる時代でした。
ハドソン・リバー派の作品からは、そんな当時のアメリカの精神が見て取れるのです。
アメリカ絵画の歴史
アメリカという国は、アメリカ独立宣言が発布されたのが1776年ですので、じつはまだ国ができて250年も経っていない、新しい国なのです。
ですので、アメリカにおける最も古い絵画は「近代絵画」という事になるのです。
もちろん、ヨーロッパから入植者がやって来る前から暮らしていた先住民、ネイティブ・アメリカンによる美術はありました。
ここでいう「アメリカにおける最も古い絵画」は、アメリカが独立して「アメリカ合衆国」が誕生して以降という意味です。
画家ベンジャミン・ウェスト
初期の植民地時代は、ヨーロッパ出身の芸術家がアメリカを舞台に活躍しました。
そんな中アメリカ人として、初期アメリカ絵画の発展に貢献にしたのがベンジャミン・ウェスト(Benjamin West、1738-1820)です。
彼は”アメリカ絵画の父”と称されています。
ベンジャミン・ウェストは当時未だイギリス領だったペンシルベニア植民地(現在のペンシルベニア州スワースモア)で生まれます。
独学で絵を学び、肖像画家としての地位を確立したのち、ヨーロッパに渡ります。
1763年にはロンドンに移り住み、そこで評価を確立します。
イギリス国王から肖像画制作の依頼がくるほどまでになりました。
《ウルフ将軍の死》1770年
ベンジャミン・ウェスト
カナダ国立美術館蔵
この《ウルフ将軍の死》はベンジャミン・ウェストの代表作ともいえる作品です。
画家ジョン・シングルトン・コプリー
ジョン・シングルトン・コプリー(John Singleton Copley、1738-1815)も初期アメリカ絵画の発展に貢献した画家です。
独立前のアメリカ出身の画家として、初めて国際的な評価得ました。
彼もまた過去の巨匠たちの作品の模写などを通じて、独学で絵を学びました。
《少年とリス》1765年
ジョン・シングルトン・コプリー
ボストン美術館蔵
こちらの《少年とリス》という作品は1766年にロンドンの展覧会に出品され、ジョシュア・レノルズから高く評価されました。
ベンジャミン・ウェストがロンドンに移住した11年後、1774年からコプリーもロンドンで暮らします。
二人はロンドンで交流を持ち、また両者ともにロンドンで亡くなっています。
《ワトソンと鮫》コプリー
《ワトソンと鮫》1778年
ジョン・シングルトン・コプリー
ボストン美術館蔵
こちらの《ワトソンと鮫》もコプリーの代表作として良く知られています。
この作品、少し面白いエピソードがありますので最後にご紹介したいと思います。
海に落ちて、今にも鮫に食べられてしまいそうな青年がワトソン君です。
ワトソン君、かなりのピンチです!
この作品は実際にキューバで起きた出来事を描いています。
ワトソン君はイギリス人の孤児で、14歳の時に船乗りになりました。
そんなある日、船乗りの仕事で訪れたキューバの海で泳いでいたところ、鮫に襲われて右脚の膝から下を喰われてしまいますが、一命を取り留めます。
この絵だと頭からいっちゃいそうですが…
その後大人になったワトソン君と画家コプリーがロンドンで友人になり、「この出来事を絵にして欲しい」と画家に依頼するのです。
なぜこの絵を発注したのか?
この絵で印象的なのはJAWS(ジョーズ)を彷彿とさせるサメの恐ろしさです。
しかし描かれた理由を知ると”チョットいい話”なのです。
若い頃のワトソン君は決して恵まれた境遇ではありませんでした。
両親のいない孤児という立場、この事故で右膝下を失ってしまい、船乗りも続けることができなくなります。
しかしその後は軍での仕事を経て、更に起業して大成功を収めます。
そこからみるみる出世をし、ロンドンの市会議員を務めロンドン市長にまでのぼりつめます。
ワトソン君、めちゃめちゃスゴイ人じゃないですか!
ワトソン氏は、少年時代のこの出来事を描いた絵を、ロンドンにある、孤児を保護する施設に寄贈するのです。
「自分のように孤児で、片足を失った人間でも頑張れば偉くなったり、成功できるんだよ」とこの絵を通して孤児たちに伝え、彼らを勇気づけようとしたのです。
素敵なお話ですね~
《ワトソンと鮫》1778年
ジョン・シングルトン・コプリー
ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵
この絵はたいへん評判になり、同じ構図の絵が3バージョン描かれています。
いかがでしたでしょうか。
今回の記事は以上になります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
コメント
[…] こちら☚からご覧いただけます!! […]