2026年3月17日にテレビ東京で放送された「開運!なんでも鑑定団」の【三島手の水差】についてまとめました。
番組内容に沿って、それでけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
*画像出展元:テレビ番組「開運!なんでも鑑定団」より
型押しの象嵌技法・三島手

『三島手(みしまで)』とは素地に型を押して細かな連続文様をつけ、そこに白土を埋めて象嵌した焼物である。

『三島手』はその文様が、静岡・三嶋大社で頒布していた暦。

いわゆる三島暦の流れ文字に似ていたことから、

日本では『三島手』と呼ばれるようになった。

その歴史は1300年代末からおよそ150年間、朝鮮半島で作られた粉青沙器(ふんせいさき)に遡る。

粉青沙器は灰色の胎土に白土を化粧掛けし、透明釉をかけて焼き上げたもの。

しかし、あくまで庶民の日用雑器だったため、その造形は伸びやかで気取りがない。

しかし最大の特徴は、極めて独創的な技法が用いられたことであろう。

三島手もそうした粉青沙器の装飾技法の一つ。

とりわけ礼賓三島(らいひんみしま)は見込みに、「礼賓」「内瞻(ないせん)」など朝鮮王朝の官庁の名が書いてあり、官物として上納されたもの。

素地は薄く、文様も端正かつ細やかで、三島手の中でも上手といえよう。

しかし16世紀半ばになり、白磁が庶民に広く普及すると、

粉青沙器は瞬く間に姿を消してしまったのである。

一方、日本では室町時代の末に粉青沙器が伝来する。

折しも侘茶が流行していたため、その素朴な味わいは茶人たちを大いに魅了した。

中でも「三島手」「刷毛目(はけめ)」「粉引(こひき)」の茶碗は高麗茶碗と呼ばれ、茶道具としておおいに珍重された。

「三島桶」の銘を持つこちらの茶碗。

千利休が所持したのち徳川家康の手に渡り、尾張徳川家に伝来した銘品。

その後日本からの注文によって、日本人好みの高麗茶碗が作られるようになったが、

彫三島もその一つ。ヘラで彫り込んだ檜垣文と、

見込みの菊花文を白土で象嵌しているのが特徴である。

また文禄・慶長の役の頃、朝鮮半島から渡来した陶工たちが、

唐津の窯で三島手を取り入れた三島唐津の制作を開始。

例えばこちらは「蓬莱(ほうらい)」の銘を持つ唐津茶碗。

外側が三段に区切られ、上から二段は暦風の文様と雷文を。
腰の部分には花文様を巡らせている。

実に堂々とした作行きで、三島唐津の名品と誉れ高い。
三島手の水差

改めて依頼品を見てみよう。
三島手の水差しで、高さはおよそ16cm。

特注であつらえたと思われる黒柿の蓋が付いており、

胴には花や鳥の文様が細かく象嵌されている。
果して鑑定やいかに?
残念 2万円!

「日本で作られた三島唐津ですね」

「制作年代は明治以降の近代です」

「大きな火割れの傷が入ってる。本来は窯跡に捨てられるべきものだった。それを誰かが漆を詰めて、水指として使おうと思ったんでしょうね」

「ただね、この黒脇の蓋がいいよ。あつらえでこれを作るとすると10万円以上かかると思いますね。水指としてお使いになって楽しむのが良いと思いますよ」
今回の記事はここまでになります。
