【ぶら美】《レディ・ジェーン・グレイの処刑》【怖い絵展⑦】

ぶらぶら美術・博物館

2017年11月24日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#253 英国の至宝が初来日!「怖い絵」展~名画に潜む“恐怖”を、ベストセラー著者・中野京子さん解説で!~】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
前回のパート6はこちら☚からご覧頂けます。

ラストのパート7ではメインビジュアルにもなり、大きな話題を呼んだ作品《レディ・ジェーン・グレイ》の処刑を取り上げます。

監修の中野京子さんは「この作品が借りられなかったら、この展覧会はやめよう」とまでお考えになっていたそう。
この作品を所蔵するロンドン・ナショナル・ギャラリーは、作品の貸し出しに慎重な事で知られています。
実際に貸し出しの合意を得た後も、一年以上サインをしてもらえなかったとか。
それくらいあまり貸し出しをしたくない、貴重な作品という事になります。

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《レディ・ジェーン・グレイの処刑》


《レディ・ジェーン・グレイの処刑》1833年
ポール・ドラローシュ
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵

縦2メートル51センチ、横幅3メートル2センチの大変大きな画面に、処刑の場面がドラマティックに描かれています。

ロンドン・ナショナル・ギャラリーが貸し出しに先ず難色を示したのは、「これだけ大きな作品は運べないでしょう」という点でした。

その問題をなんとか解決したところで次に言われたのが、「この絵を見るために年間600万人が来場する。半年間貸し出しをすれば300万人が見ることができなくなる」ということ。
それくらいロンドン・ナショナル・ギャラリーにとっても大事な作品というわけです。


タイトルにもなっているジェーン・グレイは中央の白いドレスを着た女性です。
彼女は目隠しをされているので、首置台がどこか分からずに手探りをしています。

しかし、そもそもなぜ彼女は処刑されることになったのでしょうか。

ジェーン・グレイの生涯

まず初めに、ここに描かれている女性が誰で、なぜ処刑されることになってしまったのかを見ていきます。
彼女の本名はジェーン・グレイ(Jane Grey)です。
頭のレディは「令嬢」の意味です。
つまり「レディ・ジェーン・グレイ」で「ジェーン・グレイ嬢」という事になります。
1537年に生まれたとされ、1553年に16歳の若さで処刑されています。

彼女が生まれたのは権力闘争が激化していた頃のイギリスでした。
ジェーン・グレイ自身は時の王、ヘンリー8世妹の孫にあたります。
彼女の王位継承順位は4位でした。

ヘンリー8世の跡を継いだ息子は幼くして亡くなってしまいます。
その次の王を誰にするかという時にこのジェーン・グレイを巻き込んだ権力闘争が起きるのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館 #253」より

残されたのは王位継承者はみな女性でした。
王位継承1位はヘンリー8世と一人目の妻の子のメアリー1世です。
2位が二人目の妻の子のエリザベス1世です。
メアリー1世エリザベス1世は共にヘンリー8世の実の子になります。

一方ジェーン・グレイはというと、ヘンリー8世の妹の孫という事で
血筋としても遠く、また彼女自身も王位に就く気などさらさらありませんでした。

しかしジェーン・グレイの父親が権力志向の強い人だったのです。
ヘンリー8世の後を継いだエドワード6世が亡くなると、ジェーンの父親がジェーンを権力者と結婚させて女王に仕立て上げます

当時10代半ばのジェーンは、権力のための操り人形のように扱われ、きっと何が起こっているかもわからなかったことでしょう。
そんな彼女は以後「9日間の女王」と呼ばれます。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館 #253」より

ジェーンが即位して10日目に、王位継承順位1位だったメアリー1世が兵をあげたのです。
彼女や彼女の父親は”反逆者”として拘束されてしまいます。

けれどもメアリー1世もまだ若いジェーンに処刑する事に乗り気ではありませんでした。
そこでメアリー1世は「カトリックに改宗したならば命は助ける」と告げます。

しかしジェーン改宗しませんでした
その結果、彼女は処刑され16歳の若さで亡くなってしまいます。

作品に描かれている登場人物

このようなバックグラウンドがこの作品には存在します。
いわば「悲しい処刑」だと分かるように作者のポール・ドラローシュも描いています。


ジェーンの横で彼女の腕を導くのが司祭です。
じつはこの司祭はカトリック(メアリー1世が改宗しなさいと命じたのがカトリック)の司祭なのです。
ですので、改宗を拒んだジェーンに対してあまり良い印象を抱いてはいないはずなのですが、その表情や仕草はどこか彼女に哀れみを感じているようです。
首置台の下に置かれた藁は斬首後の血を吸うために置かれています。


画面右側に立っている男性は処刑人です。
彼の表情も「いやぁ、参ったなぁ」というような表情をしています。
この時代はまだギロチンができていませんでしたので、手にした斧で処刑は行われていました。


画面の左側の女性は侍女です。
一人は卒倒し、もう一人は柱にもたれかかり泣いています。

描かれている人物全員から「ジェーンが死ぬべき人間ではない」というのが伝わるように描いています。

画家:ポール・ドラローシュについて

『自画像』ポール・ドラローシュ

ポール・ドラローシュ(Paul Delaroche、1797-1856)はフランスの画家です。
1820年代にイギリスやフランスの歴史上のエピソードを描いた作品で人気を得ました。

ドラローシュの持ち味は、絵の中に見られるまるでオペラのような演劇的な表現です。
彼がこのような劇的な表現ができた背景には、実際に舞台装置の制作などの仕事をしていたというのが理由としてあります。
ですので、どこにスポットライト当てるべきかどこに人物を配置するべきかなど劇的に見せる方法を熟知していました。

じつはジェーンが実際に処刑される際に来ていたのは黒いドレスでした。
しかしドラローシュは白いドレスにすることで彼女の「若さ・無実・無垢」を強調しました。
更には黒い背景に彼女の存在が映えるようにという狙いも込められていました。

ドラローシュは歴史を丹念に研究し、どうすればより効果を上げられるか。
どうすれば鑑賞者にインパクトを与えられるだろうかというのをものすごく研究してたのです。

いかがでしたでしょうか。
レディ・ジェーン・グレイの処刑》は場面としては確かに怖いですが、背景を知るとすごく悲しい作品に見えてきますね。

最後までご覧頂きありがとうございました。

「怖い絵展」のその他の記事はこちら☚からご覧頂けますので、よろしければぜひ(*^^*)

コメント

  1. […] 次のパート7で怖い絵展のまとめはラストです。 最後は《レディ・ジェーン・グレイの処刑》、この展覧会のメインビジュアルの作品についてまとめます。 こちら☚からご覧頂けます。 […]

  2. […] こちらの作品を見覚えある方も多いのではないでしょうか。 2017年に開催された「怖い絵展」のメインビジュアルにもなった《レディ・ジェーン・グレイの処刑》です。 じつはこの作品もロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵の作品になります。 (*今回のロンドン・ナショナル・ギャラリー展には展示されていません) 中野京子さんによると、こちらの作品を借りるのもかなり大変だったとか。 ☛こちらで詳しくまとめていますので、よろしければご覧ください。 […]

  3. […] 過去の記事にて、『怖い絵展』で紹介された《レディ・ジェーン・グレイの処刑》についてもまとめています。 よろしければ、こちら☚もご覧ください。 […]

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