【ぶら美】ハプスブルク展《Ⅵ.皇妃マリー・アントワネットの肖像》

ぶらぶら美術・博物館

2019年11月19日にBS日テレで放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#327 国立西洋美術館「ハプスブルク展」】の回をまとめました。

番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい。
前回のパート5(マリア・テレジアの肖像)はこちらからご覧頂けます☟☟
【ぶら美】ハプスブルク展《Ⅴ.皇妃マリア・テレジアの肖像》

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《フランス王妃マリー・アントワネット(1755-1793)の肖像》ヴィジェ・ルブラン


《フランス王妃マリー・アントワネット(1755-1793)の肖像》1778年
マリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン
ウィーン美術史美術館蔵
日本では母親のマリア・テレジアよりも有名な、マリー・アントワネットの23歳の時の肖像画です。
縦2メートル73センチ、横1メートル93.5センチの大画面に描かれています。

描いたのは女性画家のヴィジェ=ルブランです。

1790年にフィレンツェで描かれた自画像

*「ハプスブルク展」には出展されてません。

マリー・アントワネットと同い年ヴィジェ=ルブランは彼女の寵愛を受け、宮廷画家として活躍しました。

しかしフランス革命の際に、宮廷画家であった彼女は亡命を余儀なくされます。
その後はヨーロッパ各地を転々として、最終的にはフランスに戻っています。

過去に記事でヴィジェ=ルブランについてまとめていますので、よろしければご覧になって下さい☟
【マリー・アントワネットの宮廷画家】ヴィジェ・ルブラン①【美術番組まとめ】

マリー・アントワネットは長く争いが絶えなかったフランスとの関係改善のため、14歳の若さでブルボン王朝のルイ16世の元に嫁ぎました。

この肖像画は、オーストリアからフランスに嫁いだマリー・アントワネットが、実家の母親のマリア・テレジアに送るために描かれました。

自分はフランスでちゃんとやっていますよ
というメッセージを送るために、ヴィジェ=ルブランに肖像画を描かせたのです。

近況を伝える目的にしては、大きすぎる気がしますが・・・
そこは天下のハプスブルク家!

インターネットももちろん電話も写真もない時代です。
マリア・テレジアは14歳で嫁いだ娘の成長を知りたく、肖像画を送って欲しいと手紙を出しています。

しかしマリー・アントワネットは、色々な画家に描かせても描かせてもその出来栄えに満足する事ができず、やっと出会ったヴィジェ=ルブランとこの作品ができた時には、嫁いでから8年の歳月が流れていました。

出来上がった肖像画はフランスからオーストリアまで馬車で運ばれたと考えられます。
しかし大変大きなサイズ(タテ2メートル73センチ、ヨコ1メートル93.5センチ)なので、おそらくは巻いて運ばれたのでしょう。

マリー・アントワネットの母、マリア・テレジア

*「ハプスブルク展」にはこちらの作品は出品されておりません

母親のマリア・テレジアは娘のことをずっと気にかけていました。
あの子はちゃんとやれているのだろうか・・・」と。
そんな母親を安心させるためにこの肖像画を送りました。

しかし、結果は皆さまご存じの通り。
宮廷での贅沢な生活が国民の反感を買い、彼女の最期はフランス革命の最中、37歳で処刑されるという生涯でした。

肖像画に込めたメッセージ

 

この肖像画見た母マリア・テレジアは大変喜んだと言います。
それは8年越しの娘の成長した姿を見る事ができたというのはもちろん、それ以外にも母親を喜ばせる細かい仕掛けがこの絵にはあったのです。

 

その一つは画面右上に描かれている男性の胸像です。
この当時、王妃とは国王のものであり国家のものという考え方がありました。
なので王妃の肖像画には必ず、国王を象徴するものが描かれます。
つまりこの男性の胸像は夫であるフランス国王、ルイ16世なのです。

また、オーストリアとフランスは長きにわたり犬猿の仲でした。
そんな中マリー・アントワネットは、関係を修復するために嫁がされたのです。
国王の胸像が画中にあることで、フランス王妃としての肖像画になっていることに、マリア・テレジアは喜んだのです。

 

さらにこのドレスも母親を喜ばせた理由の一つでした。
このドレスは日本でいう所の十二単のような、格式のあるドレス大礼装なのです。
このドレス姿で描かせたのも「自分はフランス王妃として、フランスの伝統もちゃんと踏まえていますよ」という娘から母へのメッセージとも言えるのです。

しかし、フランス王室ばかりでなくハプスブルク家の誇りもまた、この肖像画には込められています。
それは手にしている一輪のバラの花です。
これはハプスブルク家の象徴なのです。

「故郷を離れ、フランスのルイ16世のもとに嫁いだけれども、ハプスブルク家の事もちゃんと覚えていますよ」

マリー・アントワネットはこの絵をただの肖像画として描かせたのではなく、フランス王妃としての自分と、ハプスブルク家の人間としての自分、その両方の意味を込めて母親を安心させよう考えたのです。

パート6はここまでです。
パート7で最後、悲劇の皇妃エリザベトと皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に迫ります。
【ぶら美】ハプスブルク展《Ⅶ.皇妃エリザベトとフランツ・ヨーゼフ1世》

コメント

  1. […] パート5ではいよいよ《マリーアントワネットの肖像》についてまとめていきます。 【ぶら美】ハプスブルク展《Ⅵ.皇妃マリー・アントワネットの肖像》 […]

  2. […] 見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい。 前回のパート6(マリー・アントワネットの肖像)はこちらからご覧頂けます☟☟ 【ぶら美】ハプスブルク展《Ⅵ.皇妃マリー・アントワネットの肖像》 […]

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