【ハプスブルク展】ルドルフ2世とアルチンボルド

アート・ステージ

2019年10月19日にTOKYO MXで放送された「アート・ステージ~画家たちの美の饗宴~」の【絵画に息づくハプスブルク家の栄華】の回を「ハプスブルク展」の予習用メモとしてまとめました。

番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
前回のパート1の記事はこちらからご覧頂けます☟☟
【ハプスブルク展】スペイン宮廷画家ベラスケスとハプスブルク家

「ハプスブルク展」は終了しましたが、見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

スポンサーリンク

ハプスブルク家のルーツとは??

まず初めに、ハプスブルク家とはどういったルーツから来ているのか見ていきたいと思います。

元々は現在のスイスの北東部、ライン川上流の豪族でした。
そこから「政略結婚」を繰り返し、勢力を拡大していきます。
ハプスブルク家の家訓にあるように「戦争は他家に任せよ。幸せなオーストリアよ、汝は結婚せよ」という事だったのです。

ハプスブルク家は13世紀の末までにオーストリアへと進出し、それ以降その地を拠点としてヨーロッパ各地に支配範囲を広げていきます。
そして約600年間ヨーロッパに支配者として君臨するのです。

15世紀になる頃には、現在のドイツを統治していた神聖ローマ帝国皇帝の地位を手に入れることとなります。
さらに16世紀のカール5世の頃には、ヨーロッパ以外の中南米やアジアにも支配を広げ、その統治は「日の沈まない帝国」と呼ばれました。
そうして拡大した領土の中で、オーストリアスペインを二大拠点としていったのです。

オーストリアのハプスブルク家

パート1ではスペインを統治していたフェリペ4世と、その宮廷画家のベラスケスについてご紹介しました。
二大拠点のもう一方のオーストリアもまた、芸術と深い関係にありました。

神聖ローマ皇帝ルドルフ2世

なかでも有名なのが、16世紀に神聖ローマ帝国皇帝として君臨したルドルフ2世です。
ルドルフ2世の治世は政治こそ不振でありましたが、学問や文学、そして芸術は大いに発展しました。

実際にルドルフ2世は、ドイツルネサンスの巨匠であるデューラーや、ベネチア絵画の天才と呼ばれたジョルジョーネといった画家の作品も収集しており、その見識の高さが伺えます。

また宮廷のあったプラハは、その当時ヨーロッパで最も栄えた文化都市になったほどでした。

ルドルフ2世の宮廷画家・アルチンボルド

ジュゼッペ・アルチンボルド(1526-1593)

*こちらの作品は「ハプスブルク展」には出展されてません。

そのオーストリアのハプスブルク家の宮廷画家として活躍したのが、”奇想の画家”としても知られるジュゼッペ・アルチンボルドです。


《ウェルトゥムヌスに扮するルドルフ2世》1590年頃
ジュゼッペ・アルチンボルド
スコークロステル城蔵

*こちらの作品は「ハプスブルク展」には出展されてません。

50種類以上の果物や野菜、そして花々で構成された皇帝の肖像画です。
構成するそれらがどれも丁寧な描写で、しっかりと描かれています。

タイトルにある「ウェルトゥムヌス」とは、ローマ神話で果物や野菜、そして四季を司る神様のことです。

しかしアルチンボルドはどうして、皇帝の肖像をこのように描いたのでしょうか?
そして、描かれた皇帝は怒ったりはしなかったのでしょうか?

結論から申し上げると、ルドルフ2世アルチンボルドの意図をくみ取り作品を褒め称えたと言います。
アルチンボルドがこのような姿で描いた理由、それはこれらの多くのみずみずしい果物や野菜を描くことで、国が豊かである事をアピールし、その帝国が繁栄していることを表しているのです。
さらにそれが皇帝の恵みによってもたらされている事を意味しているのです。

ハプスブルク家の終焉

広大な領土を誇り、ヨーロッパに何世紀も君臨したハプスブルク家。
その栄華は1918年に、オーストリア・ハンガリー帝国の消滅とともに終わりを迎えます。

けれども、今でも作品の中にはかつての栄光がそのままに残っています。
それは決して優雅で豪華だっただけではなく、美しいものこそが永遠の力を持つことを雄弁に物語っています。

ハプスブルク家に仕えた宮廷画家

ハプスブルク家は何世紀にも渡って権力を持っていたので、宮廷画家の顔ぶれもビッグネームばかりです。

カール5世の宮廷画家にはベネチア・ルネサンスの巨匠ティツィアーノがいました。

アルブレヒト・デューラーマクシミリアン1世の宮廷画家でした。

パート1でもご紹介しました、フェリペ4世ベラスケスを宮廷画家として迎えましたが、画家の王と呼ばれたルーベンスも一時期庇護していました。

アルチンボルドは、フェルディナント1世マクシミリアン2世、そしてルドルフ2世と三大に渡って仕えました。

ハプスブルク家まとめ

  • ハプスブルク家は約600年に渡り、ヨーロッパを中心に中南米やアジアまで支配
  • そんな中、二大拠点となったのがスペインオーストリア
  • スペインでは、フェリペ4世の宮廷画家ベラスケスが活躍
  • オーストリアでは、ルドルフ2世の宮廷画家アルチンボルドが活躍
  • ベラスケスが描いた《青いドレスの王女マルガリータ・テレサ》は政略結婚の相手に見せるためのもの。マルガリータ・テレサは名画《ラス・メニーナス》にも描かれているフェリペ4世の娘。

国立西洋美術館「ハプスブルク展」(*既に終了してます)

この展覧会では、時代ごとコレクター(皇帝)の個性や傾向を浮き彫りにしていく事を目的にしているとの事です。
絵画以外にも、版画・工芸・タペストリーから甲冑まで幅広い展示品が約100点展示されていました。

この展覧会は、日本とオーストリアの国交樹立150周年を記念したもので、ウィーン美術史美術館の協力の下で、名品・名画の数々を日本にいながら見る事ができる貴重な機会でした。

最後までご覧頂きありがとうございました。

コメント

  1. […] パート2へと続きます。パート2では、オーストリア・ハプスブルク家のルドルフ2世と 彼の宮廷画家アルチンボルドについてまとめます。 【ハプスブルク展】ルドルフ2世とアルチンボルド […]

タイトルとURLをコピーしました