【まとめ】ゴッホ知ってますか?①【ゴッホ展特別番組】

その他美術番組

2019年11月4日にwowow(無料放送)で放送された【ゴッホ展特別番組「ゴッホ知ってますか?」前編】の回をブログにまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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イントロダクション


《パイプと麦藁帽子の自画像》1887年
フィンセント・ファン・ゴッホ
ファン・ゴッホ美術館蔵

ゴッホはその生涯で、2000点以上の作品を残しました。
そんな彼が画家を志したのは、なんと27歳になってから。
そこから37歳で亡くなる10年間の間で2000点以上の作品を描いたのです。


《ひまわり》1888年
フィンセント・ファン・ゴッホ
ロンドン・ナショナル・ギャラリー蔵

*ゴッホ展には出品されていません

そんなゴッホの作品でまず私たちが思い浮かべるのは、代表作《ひまわり》に見られるような、明るい色彩の作品です。


《ジャガイモを食べる人々》1885年
フィンセント・ファン・ゴッホ
ファン・ゴッホ美術館蔵

*ゴッホ展には出品されていません(リトグラフ版が出品されます)

しかし画家を目指した直後の作品は、《ジャガイモを食べる人々》のように暗い画面の作品でした。
なぜ当初はこのような暗い画面の作品を描いたのでしょうか?

画家になる以前のゴッホ

27歳という遅めの歳で画家としてのキャリアをスタートさせたゴッホ
それ以前の彼はどういった人生を歩んできたのでしょう?
まずは子供時代から見ていきましょう。

気難しい性格であったゴッホは、孤立した青年時代を送っていました。
後の手紙にも「僕の若い時代は、陰鬱で冷たく不毛だった」と記しているほどです。

16歳の時には、ハーグという町の画廊で画商として仕事を始めます。
画家ではありませんが、絵画を触れる機会はこの頃からあったのです。
仕事ぶりも評価され、ロンドンに栄転するほどでした。

しかしそのロンドンで、失恋をしてしまいます
何もかもが嫌になったゴッホ、仕事にも身が入らなくなり、ほどなく解雇されてしまいます

職を失ったゴッホは次に牧師を目指します。
父親が牧師であった事もあり、父の職を継ごうと考えたのです。
そのためにラテン語やギリシャ語の勉強に取り組みますが、ここでも結局挫折してしまいます

画商をやってもダメ、牧師を目指してもダメ。
万策尽きたゴッホが最後に目指したのが「画家」だったのです。

ゴッホは最初から画家になりたかった(なろうとした)のではなく、他にできることが無くなった結果、画家しか道がなかったのです

ゴッホの初期作品はなぜ暗い色調のか

《疲れ果てて》ゴッホ、1881年、P. & N. デ・プール財団蔵

画像出展元:「ゴッホ展」公式図録より

ゴッホの初期の作品(オランダ時代)の作品はなぜ暗いのでしょうか?

じつはこの時代、絵画自体が全般的に色は暗めだったのです。

特にゴッホが影響を受けたオランダのハーグ派は暗い色調の作品が多く、ハーグ派自体が灰色派と呼ばれるほどでした。
またゴッホがモデルとしたのも、農民や貧しい人たちだったので、そういった人たちを明るい色調で描くようなことはしませんでした。

つまり、主題やテーマとする人が明るい色調で描くような人たちではなかった事。
そして影響を受けた周りの画家も暗い画面の作品を描いていた。
この2点が理由と言えるでしょう。

ハーグ派とは?

ハーグ派というのは、1870~1900年頃にオランダのハーグを拠点に活動した画家たちの総称です。

主に田園風景や農民の生活などを主題としました。
フランスのバルビゾン派のオランダ版といったような感じです。

ハーグ派を代表する画家には、アントン・マウフェマリス三兄弟などがいます。

アントン・マウフェ(1838-1888)

特に遠い親戚にもあたるアントン・マウフェは、ゴッホに絵画の基本的な事から教えた「ゴッホの唯一の師」でもありました。

今回の「ゴッホ展」では、そのハーグ派の画家たちの作品も見る事ができます。

ゴッホと弟テオとの関係

こうして画家となったゴッホですが、作品が売れるわけでもなく、稼ぎもありませんでした。

そんなゴッホを経済的に支援(それも全面的に)したのが、弟のテオでした。
一応、出生払いという事にはなっていたようですが・・・
(ゴッホが評価されたのは亡くなった後で、生前には作品が一枚しか売れなったとも言われています
*諸説あるようです)

テオゴッホと同じ画商でグーピル画廊に勤務しており、稼ぎが今でいう年収一千万円ほどあったそうです( ゚Д゚)
そのうち10年間で、およそ1800万円ほど兄に仕送りをしています。
(これはあくまで”記録”として残っている金額で、記録外のものもあれば更に金額は増えるでしょう)

また兄ゴッホだけでなく、オランダにいる自分の家族にも仕送りをしていました。

すごくできた弟さんだったのですね。

ゴッホの弟テオ

テオゴッホの作品を、当初は売り物にはならないと考えていました。
しかし、パリにゴッホが拠点を移してからは、「いつか兄は絶対に売れる」と確信を持っていたといいます。
テオはおそらくは世界で最初、そして当時一人だけの「ゴッホの理解者」だったのです。

長くなりましたので、パート1はここまでに。
パート2へと続きます。
【まとめ】ゴッホ知ってますか?②【ゴッホ展特別番組】

コメント

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