ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女》①

美の巨人たち

(前ブログ「masayaのブログ美術館」からのリライト記事になります)

今回は僕の一番好きな絵画作品、そして美術を好きになったきっかけの作品についてご紹介していきます。

それはフェルメールの《真珠の耳飾りの少女》です。
僕と同じくこの作品が好きな人もきっと多いのではないでしょうか?

2012年7月14日放送の「美の巨人たち」の【フェルメール「真珠の耳飾りの少女」】の回をベースに、番組内容に沿ってプラスアルファ(美術検定の勉強で得た知識など)して、記事にまとめていきます。

是非最後までご覧になってください。

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イントロダクション:真珠の耳飾りの少女


《真珠の耳飾りの少女》1665~1666年頃
ヨハネス・フェルメール
マウリッツハイス王立美術館蔵

強くじっとこちらを見つめる眼差し。
何かを言いかけたような、艶やかな口元。
神秘の輝きを放つ、真珠の耳飾り。
髪を包む鮮やかな色のターバン。

ふと振り返ったところなのか、それとも何かを言い立ち去ろうとしているのか。
暗い背景に衣服の黄色とターバンの青色。
まるでそこにいるかのような存在感です。

絵画史上、最も美しいと言われるこの少女は日本でもとても有名です。
美術ファンにはもちろんの事、そうではない人にも良く知られています。

マウリッツハイス王立美術館

マウリッツハイス王立美術館

画像出展元:wikipediaより

オランダ第三の都市のデン・ハーグ

この街の中心に《真珠の耳飾りの少女》を収蔵する美術館、マウリッツハイス王立美術館はあります。

(デン・ハーグといえば、初期のゴッホの作品に影響を与えた「ハーグ派」が活躍していた街ですね)


《テュルプ博士の解剖学講義》1632年
レンブラント
マウリッツハイス王立美術館蔵

小さな宝石箱」とも称されるこの美術館には、フェルメールの他にも、レンブラントルーベンスといった巨匠たちの作品も並んでいます。

ヨハネス・フェルメールについて

フェルメールの自画像とも言われる《取り持ち女》の画中の人物

作者のヨハネス・フェルメールは、ここ日本でも大変人気のある画家です。

2018年から2019年にかけて行われた「フェルメール展」では、東京で68万人、大阪で54万人の来場者を記録しました。

そんなフェルメールは今からおよそ400年前の17世紀のオランダで活躍した画家です。
同じ時代に同じオランダで活躍した画家で、レンブラントがいます。
(ちなみにレンブラントの方が24歳年上です)

オランダのデルフトで生を受けたフェルメールは、43歳で亡くなるまで一度もデルフトから出ることはなかったと言います。

《牛乳を注ぐ女》1658-60頃
ヨハネス・フェルメール
アムステルダム国立美術館蔵

そんな彼の総作品数は、わずか三十数点のみです。

作品の多くは、街の人々の日常を描いた風俗画です。
何気ない日常を描きながらも、その計算し尽くされた構図や空間構成。
そして彼の筆が生み出す、唯一無二の光の表現は見る者を魅了します。

しかし、《真珠の耳飾りの少女》は風俗画ではありません。

じゃあ、肖像画なの?

いいえ、どうやら肖像画でもないようなのです

《真珠の耳飾りの少女》にモデルはいるの?

描かれている女性が一体誰なのか?気になりますよね。
フェルメール家にいた使用人や、実の娘だ言う説など様々言われています。
しかし、画家の日記や記録が残されておらず、実のところは分からないのです

しかし、フェルメールが亡くなった直後に作られた「財産目録」にヒントが隠されていました。
その中に「トルコ風トロ―二ー 2点」と記録が残されています。
この「2点」のうちの一つが、《真珠の耳飾りの少女》の事だと言われています。


《少女》1666-67年頃
ヨハネス・フェルメール
メトロポリタン美術館蔵

そしてもう一点がこちらの《少女》という作品。
それでは目録に書かれていた「トロ―二ー」とは、何なのでしょうか。

トロ―二ー」は、画家が理想とした人物を描いたものです。
特定のモデルはいないので、画家の自由な発想を表現することができました。
つまり《真珠の耳飾りの少女》がトロ―二ーであれば、絵の少女はフェルメールの理想とする少女なのです。

なぜターバンをしているのか?

《真珠の耳飾りの少女》は、別名《青いターバンの少女》とも言われています。
確かに頭部の青いターバンがパッと持た時に視界に入りますね。

でも実はこの当時のオランダには、ターバンを身に着ける習慣や文化はありませんでした。
では、どうしてフェルメールはこの作品でターバンを描いたのでしょうが?
よく見るとターバンだけでなく、上着も日本の着物のようにも見えます。

この頃のオランダは海洋貿易で非常に栄えており、その賑わいは「黄金時代」と呼ばれていました。
世界中の様々な文化がオランダにもたらされたのです。


《地理学者》1669年
ヨハネス・フェルメール
シュテーデル美術館蔵

こちらの《地質学者》という作品では、男性が東洋的な衣服を着ています。

これはヤポンスロックと呼ばれる、日本の着物とも言われているものです。
フェルメールは東洋のエキゾチックな衣装を少女に着せる事で、作品に神秘的な力を与えようとしたのです。

パート1は一旦ここまでです。
ところでこちらの《真珠の耳飾りの少女》とよく似たこちらの作品、ご存じでしょうか?
パート2ではこの絵と《真珠の耳飾りの少女》の関係についてご紹介していきます。
ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女》②

コメント

  1. […] 前回のパート1はこちらからご覧頂けます。 ヨハネス・フェルメール《真珠の耳飾りの少女》① […]

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