【新収蔵作品】アーティゾン美術館【ジャコメッティとボッチョーニ】

ぶらぶら美術・博物館

2020年2月18日にBS日テレにて放送された「ぶらぶら美術・博物館」の【#337 誕生!アーティゾン美術館「開館記念展」〜ブリヂストン美術館が生まれ変わって新名所に!おなじみの名画から初公開作品も!】の回をまとめました。

番組内容に沿って、それだけでなく+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。

見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい。
前回のパート1はこちらから☟☟
【ぶらぶら美術・博物館】アーティゾン美術館①【美術番組まとめ】

今回のパート2では、新しくコレクション加わった2作品をまとめていきます。

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《矢内原》ジャコメッティ

《矢内原》アルベルト・ジャコメッティ、1958年

画像出展元:図録「ARTIZON MUSEUM 石橋財団コレクション 200 Highlights」

「細長い人間の彫刻」で有名なジャコメッティの作品です。
アルベルト・ジャコメッティ(Alberto Giacometti、1901~1966)はスイスで活躍した彫刻家です。

作品の読み方は「やないはら」と読みます。
描かれているのは実は日本人で、矢内原伊作(やないはら いさく)という人物で、フランス・パリで描かれました。

矢内原伊作実存主義哲学の研究者です。
ジャコメッティとは矢内原がフランス国立科学研究センターの研究員として、パリに滞在していた1955年11月に知り合います。
この時ジャコメッティは54歳、矢内原は37歳でした。

任期を終え帰国する際に、ジャコメッティの元に挨拶へ行ったところ
「君の顔を描かせて欲しい」と頼まれ、矢内原は承諾します。
しかし待てど暮らせど、肖像画は完成しません。
そのまま全然帰してもらえず、なんと帰国を72日間も延長する羽目に。

しかし72日間経っても終わりませんでした。
そして翌年以降、矢内原が長期休暇の際にはジャコメッティが航空券など自ら全額負担してパリに呼び寄せました。

作品の顔の部分を見ると、描いては削り、描いては削りと試行錯誤していた様子がわかります。
それはまるで彫刻を作るような作業です。

この作品の顔を見ても、そんなに時間のかかる作品には見えませんが・・・

矢内原はすごく味のある顔で、ジャコメッティ
描きたいけど描けない。だから描きたい。
なぜ描けないのかを知りたいから描きたい」と言っています。
特に顔の中でも「」が難しかったそうです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」

パリ滞在中には、午後の2時頃からアトリエで作業を開始し、真夜中まで続いたといいます。
ジャコメッティの研究者は、矢内原に没頭し他の作品が描けなかったこの時期を「ヤナイハラ・クライシス(矢内原の危機)」と呼んでいます。

この作品は一見完成していないように見えますが、右下にジャコメッティのサインと”1958″という制作年が入っているので、完成作だと考えられます。

じつはこの「1958年」の年だけ矢内原はパリには行っていないのです。
それ以外は1957年、そして59年から61年まで毎年パリに行っています。
なぜこの年だけ行かなかったのでしょう。

矢内原とジャコメッティとその妻の関係

じつは近年、矢内原ジャコメッティについて書いた手帖をまとめた完本が出版されました。
50年代のパリのカフェ文化から実存主義者たちとの交流が事細かに描かれているそうです。

その本によると、実は矢内原はジャコメッティの奥さんと恋仲になっており、
さらにそれをジャコメッティがけしかけていたというのです。

画像出展元:テレビ番組「ぶらぶら美術・博物館」より

ジャコメッティの妻のアネットは、それで矢内原にぞっこんになってしまいます。
この1958年はアネットはそれで相当参っていたらしく、「私が日本に行く!」とまで言っていました。

矢内原はこのアネットと距離を置くために、1958年はパリへは行かなかったのです。

夜中の12時頃に絵画制作の作業が終わると、矢内原ジャコメッティアネットの三人でカフェへ行き、その後アネット矢内原と二人で帰り、明け方にジャコメッティの元に帰るという、奇妙な三角関係でした。

ジャコメッティが制作途中に凹むことがあると、矢内原が励ますというなんとも不思議な間柄でした。
男同士の友情もありながら、いわゆる「寝取られ願望」的なこともあったのではないかと。

矢内原は哲学を研究するような人なので、おそらく「ジャコメッティと向き合う意味」というのをずっと考えていたのではないでしょうか。
矢内原自身もジャコメッティ一緒に作品を作っているという思いになったのかもしれません。

完成よりも、「描き続ける事=追求する事」が作品であるという事なのかもしれません。

《空間における連続性の唯一の形態》ボッチョーニ


《空間における連続性の唯一の形態》1913年(1972年鋳造)
ウンベルト・ボッチョーニ

こちらも新収蔵作品で、今回の展覧会で初公開となる作品です。

ウンベルト・ボッチョーニ(Umberto Boccioni、1882~1916)はイタリアで活躍した画家で彫刻家です。
また「未来派」と呼ばれるグループの代表格とも言える存在です。

未来派」とは20世紀初頭にイタリアで起こった芸術運動の事です。
詩人のフィリッポ・トンマーゾ・マリネッティという人が、パリの新聞『ル・フィガロ』に「未来派宣言」を出したのがきっかけです。

未来派の特徴はキュビスム的な要素もありますが、似て非なるものです。
「未来派」というくらいなので、機械文明を取り入れているのが特徴です。

飛行機バンザイ!スピードバンザイ!
といった感じです。

キュビスムとの違いは、動きやスピードを表している点にあります。
動きやスピードというのは本来形のないものですが、それを「形にしたこうなる」というのを表現しています。

じつはこの作品はイタリア人なら誰でも知っている有名な作品なのです。
イタリアの20セント硬貨にはこの作品が刻まれているのです。

画像出展元:「MUSEY」より

*アーティゾン美術館の収蔵作品ではありません。

こちらもボッチョーニと同じく「未来派」の画家、ジャコモ・バッラの作品です。
タイトルは《鎖につながれたイヌのダイナミズム》。
ここでは散歩する犬と人間の足の動き、スピードを画面に表現しています。

未来派」は第二次世界大戦の際にファシズム(イタリアファシスト党)に協力した事から、戦後は批判の対象となります。
しかし80年代に再評価が始まり、その当時はここ日本でも「未来派」は流行しました。

あの作曲家の坂本龍一も「未来派野郎」というアルバムを1986年に発表しています。
*山田五郎氏談

パート2はここまでです。
パート3では石橋財団の至宝とも呼ばれる、藤島武二と青木繫の作品についてまとめていきます。
【ぶらぶら美術・博物館】アーティゾン美術館③【美術番組まとめ】

コメント

  1. […] と、パート1はいったんここまでです。 つづくパート2では、新たに収蔵され今回の展覧会で初公開される作品をご紹介致します。 【ぶらぶら美術・博物館】アーティゾン美術館②【美術番組まとめ】 […]

  2. […] 見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい。 前回のパート2はこちらから☟☟ 【ぶらぶら美術・博物館】アーティゾン美術館②【美術番組まとめ】 […]

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