【日曜美術館】法隆寺の至宝〜金堂壁画②【美術番組まとめ】

日曜美術館

2020年4月12日にNHKで放送された「日曜美術館」の【法隆寺の至宝〜金堂壁画をよみがえらせた人々〜】の回をまとめました。
今回の記事はパート2になります。
前回のパート1はこちら☚からご覧いただけます。

番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

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鈴木空如が描いた金堂壁画模写


画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

こちらは鈴木空如が描いた、第10号壁の『薬師浄土図』です。
描かれたのは大正11年。
生涯で三度、壁画模写に取り組んだ空如最初の模写になります。

仏の姿と共に、壁の剥落や汚れまで忠実に描いているのが分かります。
劣化している時間そのものさえも写し取っているようです。
まさに「原本」とも言える模写なのです。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

昭和7年に取り組んだ2回目の模写では、1回目に比べて損傷部分の表現が弱められているのが分かります。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

昭和11年の3度目の模写の際には、背景の傷やかすれ具合は過去2回より省略されて、仏の姿が浮かび上がるように見えています。
それにより仏様が私たちの所に歩み寄ってくるような、近くにいらっしゃる感覚を覚えます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

画像右側(昭和11年)の方が顔の輪郭の線や、鼻筋などがはっきりとわかるようになっています。
そこには仏の美しさを表現したいという空如の心が表れています。


画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

仏様の衣紋の所に見られる線は「衣紋線(えもんせん)」といい、線に近い所を色を濃く描くことで立体感を生み出しています
これは凹凸画法(おうとつがほう)と呼ばれる、中国で流行した画法の一つです。

昭和の大修理

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

京都画壇で活躍していた日本画家、入江波光(いりえはこう)
昭和15年に国家事業として行われた金堂壁画の模写に参加しました。

その思いは強く、なんとしても参加したいという事で、直接文部省に足を運んで陳情をしていたといいます。

法隆寺金堂壁画の模写事業は、金堂の解体修理に合わせて行われました

またこの時の模写作業を行う際に画期的なものが導入されました。
それが「蛍光灯」でした。
この当時まだ海軍でしか使わていないたいへん貴重なものでした。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

こちらは波光が描いた壁画の模写の一枚です。

それまでは灯明を片手に暗いお堂の中で模写をしていたのに対して、波光らは昼間のような明るさの中で作業する事ができたのです。
今までは確認する事が出来なかった細かな描写や、鮮やかな色彩も確認できます。

波光は壁画を模写する際に「上げ写し」と呼ばれる日本画の伝統的な方法を使いました。
上げ写し」とは、下絵の上に和紙を重ねて、その和紙をめくった際に下絵を目に焼き付けて写し取る技法です。
一筆一筆写し取るので、作者の細かい筆遣いも理解できるといいます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

金堂壁画の模写事業には波光の教え子の川面稜一(かわもりょういち)も参加していました。

そんな中、当時の日本は戦争への道を進んでいました
模写作業中の稜一も戦地へと向かう事になります。

よほど壁画模写のことが気がかりだったのでしょう。
戦地からも模写作業中の仲間に向けて手紙を書いています。

1946年(昭和21年)、終戦から一年後のこの年に稜一は再び法隆寺に戻り模写事業に合流します。
しかし戦地へ行っている間に、壁画はおおかた仕上がっていました。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

この「第6号壁『阿弥陀浄土図』」においては、汚れや剥落のある画面下の部分が残るのみでした。
稜一は壁画にある種”含まれている”とも言えるシミやヒビなどの経年が生んだものも、丁寧に模写をしました。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

しかし1948年(昭和23年)、入江波光は全ての壁画の完成も見届けることなくこの世を去ります。
波光の娘と結婚した稜一は、亡き義父の遺志を引き継ぎ、壁画模写により一層の心血を注ぎます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

そして波光が亡くなった翌年に、ついにその出来事が起こります。
1月27日の早朝、法隆寺金堂で火災が発生するのです。
この火災で12面の壁画は焼損してしまいました。

不幸中の幸いにも、金堂の2階部分国宝釈迦三尊像》を含む仏像群は別の場所に移されており、難を逃れる事ができました。

出火原因は模写作業中に使用していた暖房器具の消し忘れではないかと言われました。
稜一は”模写事業”という自分に関わる事が原因で起こってしまったこの火災に、たいへん心を痛めといいます。

結局、模写事業はこの火災により終焉を迎える事になります。
壁画の中には未完におわったものもありました。

稜一はこの経験から自分の人生を、文化財の修理・文化財の保護に尽くそうと考えるようになったといいます。

パート2は一旦ここまでです。
パート3へと続きます。
こちら☚からご覧いただけます。

コメント

  1. […] パート1は一旦ここまでです。 続くパート2では、その空如が描いた壁画の模写を見ていきます。 こちら☚からご覧いただけます。 […]

  2. […] 2020年4月12日にNHKで放送された「日曜美術館」の【法隆寺の至宝〜金堂壁画をよみがえらせた人々〜】の回をまとめました。 今回の記事はパート3になります。 前回のパート2はこちら☚からご覧いただけます。 […]

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