【日曜美術館】クリムト①【美術番組まとめ】

日曜美術館

2018年1月28日にNHKで放送された「日曜美術館」の【熱烈!傑作ダンギ クリムト】の回をまとめました。

番組内容に沿って、+α(美術検定で得た知識など)をベースに、自分へのメモとして記事を書いていこうと思います。
見逃した方やもう一度内容を確認されたい方は是非ご覧になって下さい(^^♪

今回は世紀末ウィーンを代表する画家、グスタフ・クリムトを取り上げます。

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画家グスタフ・クリムト

*最前列右から2番目がクリムト

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

クリムトは代々金細工職人の家系であったクリムト家の七人兄弟の第二子として、1862年に生まれます。
彼は幼いころから絵が上手く、描いた作品は家族をはじめ、近隣の人々から称賛されるほどだったといいます。

1876年、14歳の時に工芸美術学校へと入学し、建築装飾などを手掛ける職人を目指します。
入学当初からめきめきと頭角を現し、教授陣も一目置かれる存在になったクリムト

卒業後には美術学校の校長であるアイテルベルガーの後援を受け、画家仲間のフランツ・マッチュ、弟のエルンストの3人で『芸術家商会』を設立します。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

オーストリアのウィーンにある美術史美術館
1891年に開館し、古代から19世紀に至るまでの名品が収蔵されているこの美術館の壁画装飾をクリムトは手掛けます。

それがこちらのアーチ部分の装飾です。
向かって左にいるのは赤の衣装をまとったアテネの守護神。
右側に古代エジプトの女性が描かれています。
当時無名だったクリムトの名は、この描写力の高さで一躍世に知られるようになります。

ところが順風満帆だったクリムトある大スキャンダルを巻き起こします

「ウィーン大学講堂天井画」

1894年、クリムトは政府からウィーン大学の天井画の制作の依頼を受けます。

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

この注文に対し、クリムトは型破りな表現で応じました。
医学」「法学」「哲学」それぞれを肯定的価値を賛美するものではなく、むしろそれらを否定するかのような作品を描いたのです。


《医学》1900/07年
グスタフ・クリムト
1945年に焼失

医学」をテーマにした作品では、宙を舞う病的な裸の人間や頭蓋骨といった、「医学」とは正反対である”死”を連想させる表現をしています。
「医学」が多くの人を助けるのではなく、逆にその限界、死を前にした時の医学の無力さを描いているのです。


《法学》1903/07年
グスタフ・クリムト
焼失

こちらは「法学」をテーマにした作品です。
画面下方には、巨大なタコに捕まった男性が囚われの姿で描かれています。
そしてその周りを囲うのは3人の「裁きの女」たちです。

画面上方には法学の擬人像が描かれていますが、目が行くのは明らかに三人の裁きの女とタコに囚われた男性です。
「法学」という本来人を救うためのものも、今苦しんでいる人間からは遠い存在である、と言わんばかりです。


《哲学》1898/1907年
グスタフ・クリムト
焼失

こちらは《哲学》。
画面右側に浮かび上がる男の顔は苦悩に満ちた表情をしているように見えます。

私は個人的にこの浮かび上がっている顔は、過去の偉大な哲学者を表しているように思います。

その横を上から下に向かって、誕生から死までを表現していますが、その姿はどれも苦悩しているように見えます。
「哲学」という人類の長年の叡智の結晶をもってしても、今を生きる人間の苦悩は救えない、とこれもまた「哲学」そのものの限界を表現しているようです。

結局これら、クリムト”新しすぎる”天井画は受け入れられず、市民や大学教授から非難を浴びる事となります。
クリムトは自ら受注の取り消しを申し出て、契約金を返還しています。

しかしこの周囲からの非難と無理解が、その後のクリムトの方向性を大きく決定づけるのです。

ウィーン分離派の結成

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

1897年、反骨精神に燃えるクリムトは、芸術家団体「ウィーン分離派」を結成します。
分離派」という言葉は、当時のウィーン美術界を支配していた「美術アカデミー」の保守的、権威主義的、ブルジョワ的嗜好や価値観からの「分離」を意味しています。

ちなみに有名なこの写真、「分離派」結成当初の写真のように思われがちですが、
じつは結成から5年経った1902年(第14回分離派展)の時の写真なのです!

画像出展元:テレビ番組「日曜美術館」より

建築家ヨーゼフ・マリア・オルブリッヒが設計したこちらのウィーン分離派館
黄金に輝くドームの下には分離派のスローガンともいえる言葉が記されています。

時代にはその時代の芸術を、
芸術には自由を

保守的な画壇からの独立を図り、新しい画風を追求していきます。

《接吻》クリムト


《接吻》1908年
グスタフ・クリムト
ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館

そんな反骨精神の末に生まれたのが、クリムトの代表作の《接吻》です。
花々が咲き乱れる断崖絶壁で、恍惚の表情を浮かべる女性と、その女性を抱きすくめ頬にキスをする男性が描かれています。

スタジオゲストの華道家・假屋崎省吾さんは「この作品には”永遠の愛”、そして”エロス”というものが封じ込められている」と語ります。

愛し合う男女の足元は断崖絶壁で、一歩間違えれば奈落の底に落ちていまいそうです。
しかし反対側には一面美しい花々が咲き誇っています。

美術評論家の千足伸行さんは「ここに一種の西方極浄土のようなイメージがある」といいます。

確かに非現実的な雰囲気が漂っていますよね。

この絵の中で生身の部分は顔と腕、そして足だけです。
それ以外の部分には全て金色の衣服をまとわせています。

クリムトがこの《接吻》で特にこだわったのが”金”でした。
なぜクリムトは愛し合う男女にまばゆいほどの金の衣服をまとわたのでしょうか?

今回の記事は一旦ここまでです。
パート2へと続きます(こちら☚からご覧いただけます)。


参考文献
宮下誠『クリムト 金色の交響曲 (Shotor Museum)』小学館 2009年

コメント

  1. […] 今回の記事はパート2になります。 前回のパート1はこちら☚からご覧頂けます。 […]

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